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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)1094号 判決 1987年3月30日

第一事件原告

倉橋盛雄

第一事件原告

倉橋精子

第二事件原告

今井玲子

第二事件原告

大東昭次

第二事件原告

佐々木正勝

第二事件原告

西村嘉豊

第二事件原告

西村ふく子

第二事件原告

野島靖巨

第二事件原告

原田久司

第二事件原告

福矢君子

第二事件原告

福矢幸司

第二事件原告

藤田里司

第二事件原告

堀田禎三

第二事件原告

山本禎雄

第二事件原告

吉住信彦

第三事件原告

林敏子

第五事件原告

松下太郎

第六事件原告

田村寅一

右一八名訴訟代理人弁護士

宮地光子

谷智恵子

松尾直嗣

原田豊

第四事件原告

大路康治

右訴訟代理人弁護士

小松陽一郎

近森土雄

第一ないし第六事件被告

大隆株式会社

右代表者代表取締役

廣瀬允宜

第二ないし第六事件被告

廣瀬允宜

第一ないし第六事件被告

小山正

右三名訴訟代理人弁護士

川見公直

浜田行正

服部美知子

同(第一、二事件のみ)

樽谷進

同(第三事件のみ)

小湊雅子

同(第三、四、五事件のみ)

井上智雄

同(第五、六事件のみ)

浦田萬里

第一ないし第六事件被告

小森力夫

第一ないし第六事件被告

岩井壽雄

第二ないし第六事件被告

野田こと寺島慎典

右三名訴訟代理人弁護士

井上俊治

第一、二事件被告

高田浩吉こと

梶浦武一

右訴訟代理人弁護士

猪野愈

本多芳郎

三宅邦明

主文

一  別紙「認容金額一覧表」の被告欄記載の各被告は、対応する同表の原告氏名欄記載の各原告に対し、同表の認容金額欄記載の各金員、並びに同表の遅延損害金起算日欄記載の各年月日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告大東昭次、同西村嘉豊、同西村ふく子の被告高田浩吉こと梶浦武一に対する請求及び原告林敏子の被告岩井壽雄に対する請求並びに別紙「認容金額一覧表」の原告氏名欄記載の各原告の、対応する同表の被告欄記載の各被告らに対する同表認容金額欄記載の金額を超える請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告大東昭次、同西村嘉豊、同西村ふく子と被告高田浩吉こと梶浦武一との間に生じた分、及び原告林敏子と被告岩井壽雄との間に生じた分は、右原告らの負担とし、原告倉橋精子、同大路康治と被告高田浩吉こと梶浦武一との間に生じた分は、これを五分しその三を右被告の負担とし、その余は右原告らの負担とし、原告倉橋精子と被告小森力夫との間に生じた分はこれを三分し、その二を右原告の、その一を右被告の負担とし、その余はすべて別紙「認容金額一覧表」の原告氏名欄記載の各原告に対応する被告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告倉橋盛雄に対し、

(一) 被告大隆株式会社は、金二、三六七、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小森力夫は、金一、二一五、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告岩井壽雄は、金一、一一七、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(四) 被告小山正は、金二〇二、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(五) 被告高田浩吉こと梶浦武一は、金六六五、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告倉橋精子に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同小森力夫、同岩井壽雄、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自金一五五万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小山正は、金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告今井玲子に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同野田こと寺島慎典は、各自金四〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  原告大東昭次に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自金一四〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告野田慎典は、金五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

5  原告佐々木正勝に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄は、各自金五、〇一一、七二〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告野田こと寺島慎典は、金四、〇二六、七二〇円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

6  原告西村嘉豊に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同野田こと寺島慎典は、各自金三九二万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告岩井壽雄、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自金一八〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

7  被告西村ふく子に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自金二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小森力夫は、金一四〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告小山正は、金六〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

8  原告野島靖巨に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫は、各自金一九〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告岩井壽雄は、金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告野田こと寺島慎典は、金九〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

9  原告原田久司に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄は、各自金五一五万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小森力夫は、金三四五万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告小山正は、金一七〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

10  原告福矢君子に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同小山正は、各自金二一五万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

11  原告福矢幸司に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同小山正は、各自金一、一二五万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

12  原告藤田里司に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同小山正は、各自金一五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

13  原告堀田禎三に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄は、各自金六四〇万円及びこれに訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小森力夫は、金三三〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告小山正は、金二六〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

14  原告山本禎雄に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄は、各自金五八〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小山正は、金二八〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

15  原告吉住信彦に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄は、各自金三五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告野田こと寺島慎典は、金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

16  原告林敏子に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄、同野田こと寺島慎典は、各自金一二〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

17  原告大路康治に対して

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自金一二六〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄、同小山正、同高田浩吉こと梶浦武一は、各自二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

18  原告松下太郎に対し、

(一) 被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同岩井壽雄は、各自金二六八万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告小森力夫は、金一二〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告小山正は、金一四八万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

19  原告田村寅一に対し、

被告大隆株式会社、同広瀬允宜、同小森力夫、同岩井壽雄は、各自金四五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

20  訴訟費用は被告らの負担とする。

21  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら全員)

1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、それぞれ被告大隆株式会社(以下「被告会社」という。)の別紙(1)セールスマン欄記載のセールスマンの訪問を受け、同セールスマンから、北海道開発地図、別紙(3)の被告会社のパンフレット、被告高田浩吉こと梶浦武一(以下「被告高田」という。)が現地案内をしている様子を写したビデオ、映画などを示され、「北海道新幹線が近く開通するから土地が値上がりする。五年たつと二倍以上で買い取る。」など別紙(1)勧誘文言、方法欄記載の内容の勧誘を受けて、別紙(1)契約日付欄記載の日に、別紙(1)所在地欄記載の北海道の土地(以下「本件土地」という。)を別紙(1)契約金額欄記載の代金(一坪二四五六円ないし一万七〇〇〇円)で買い受け(以下「本件契約」という。)、別紙(1)交付金額欄記載の金員を支払つた。

2  ところが、原告らが購入した本件土地は、別紙(2)記載のとおり、いずれも山林、原野で斜面の土地であり、現地までの交通機関はなく、付近に集落もない土地であつて、開発及び値上がりの見込みもなく使用価値及び交換価値共にないものである。たとえば、本件土地の固定資産税評価額は一坪二円ないし五円、相続税の課税基準額は一坪一〇円ないし七九円、国土利用計画法施行令九条基準地価格は一坪三三円ないし三六六円であり、時価も一坪五〇円ないし一七〇円にすぎない。

なお、被告らは乙第二号証の二の鑑定書を根拠に本件土地が価値あるものと反論するが、右鑑定書は被告会社と同様の詐欺会社による取引をもつて取引事例とする取引事例法のみによつているのであるから客観的価値を明らかにしているとはいえない。

3  しかも被告会社セールスマンの前記勧誘文言は以下のとおりすべて虚偽である。

(一) 北海道新幹線

セールスマンが最初に売り付ける際の勧誘文言は「新幹線が近く開通するから値上がりする。」というものであり、セールスマンは北海道総合開発地図を用いて、いかにも新幹線が既に決まつたものであり本件土地が新幹線からいかに近いかを力説し、原告らはその旨を信じたのである。しかし北海道新幹線の開通は全く未定であり、しかも仮に新幹線が開通しても本件土地の地理的状況からみて値上がりすることはありえない。

(二) 値上がりの可能性

本件土地が無価値なもので新幹線による値上がりがありえない以上、二年後に二倍とか、五年後に五倍とかの値上がりはありえない。それを北海道の土地の一般的な有望性を報じた新聞記事やパンフレットあるいは本件土地が宅地であるかのように装う地積図や契約書付の物件説明書により、本件土地が値上がりする旨虚偽の説明をしたのである。

(三) 換金性

セールスマンは、原告らに対して「五年たつと二倍以上で買い取る。売りたい時には会社で売る。」など「換金性」を約束した。だからこそ原告らは「必要なときは現金になる。」と安心して契約に応じたのであるが、前記のとおり本件土地の値上がりはありえないし、被告会社は契約の際、買取の意思も方法も有していなかつた(現に被告らは換金約束を否定している。)のであり、右換金約束も虚偽である。

(四) 「税金対策」文言

セールスマンは、すでに北海道の土地を購入している顧客に対してさらに他の土地を売り付ける際、「前に買つてもらつた土地が値上がりしたので転売する。差額に税金がかからなくするために新しい土地を買つてくれ。」などと勧誘する。そして契約をしぶる顧客に対しては「新しい土地を買つてくれなければ前の土地も売れない。」と脅し半分でたたみかける。しかし前記のとおり本件土地は値上がりの可能性がないのであるから、右文言の虚偽は明らかである。

4  そのうえ、被告会社の販売方法は、悪徳原野商法の典型であり、セールスマンが不意打ち的に消費者を訪問して強引に上がりこみ、長時間深夜にまでわたつて執ような勧誘をし、正常な判断を狂わせて契約させるのである。そして一旦契約すると「掘り出し物」「祝儀物件」などとたたみかけて二筆、三筆と契約させ、更に二、三年後「税金対策」として勧誘し、全財産を吐き出させるまで契約する。そして契約するとセールスマンは直ちに代金の支払いを請求し、手もとに現金がないときには、預金通帳や生命保険証書と印鑑を預かり、それを自ら金融機関で払戻手続きをして代金を回収し、顧客に考える時間、余裕を与えない。これらの方法は、通常の不動産取引では考えられないものであり、不動産取引についての経験を持たず、物件の状況や値上がりの可能性について全く知識がない原告らに対し、このような不当な手口で迫ることは許されないことであり、本件土地の売買をもつて被告らの主張するように「自由な意思で自己の責任のもとになした契約」ということはできない。

5  被告らの責任

(一) 被告会社の責任

被告会社の行為は無価値で値上がりの可能性のない山林原野を、様々の詐欺文言を用いて原告らに売買契約を締結させ代金を交付させたものであるから詐欺行為であり、販売価格の暴利性および強引かつ執ような販売方法の両面で公序良俗違反行為である。また本件土地売買の重要事項を告知しなかつた点は宅地建物取引業法三五条の趣旨に、被告会社のパンフレットは同法三七条の誇大広告禁止規定の趣旨に違反するというべきであり、さらに元金以上での買い戻しを約束しつつ無価値な土地を購入させる行為は実質的に出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律二条一項の業としての「預り金」禁止規定に違反するものである。

被告会社の行為は右の諸点で違法であり、被告会社は原告らに対して、本件契約により原告らが被つた損害である各交付金額について不法行為責任(民法七〇九条)を負う。ただし、損害につき、原告倉橋盛雄は、交付金額のほかに、別紙(1)契約番号6交付方法欄記載のとおり被告会社のセールスマンが交付金額を越えて預金を払い戻し受領したことによる損害がある(民法七一五条)反面、被告会社から九五万円の返済を受けており、また、原告山本禎雄は、被告会社から二〇万円の返済を受けているので、右原告らについては、右金額を差し引いた金額が損害となる。

なお、被告らは、本件土地の取引が投機的性質を持つものであることを、不法行為を争う一つの根拠として主張している。しかし投機的取引とは、対象物件が値上がりすることもあれば値下がりすることもあることを承知で、その値上がりの可能性に賭けるという性質のものであるところ、被告会社のセールスマンは、絶対に損をしない取引として、勧誘行為を行つているのであり、本件取引は、投機的取引とはおよそ実態を異にする。利殖のみを目的とするものというべきである。

(二) 被告ら個人の責任

(1) 被告広瀬允宜(以下「被告広瀬」という。)

被告広瀬は、昭和四八年五月八日から昭和五〇年一一月二九日まで及び昭和五一年五月二〇日から昭和五二年一〇月三一日までは代表取締役の地位にあり、昭和五二年一〇月三一日から昭和五三年一〇月一七日までは取締役の地位にあつたものであり(退任時期と退任登記時期とがずれているときには、商法一四条の類推適用により、退任登記時期まで取締役の責任を負う。以下同様)その間、同人は被告会社の代表取締役もしくは取締役として、被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的には商法二六六条の三に基づき、予備的には民法七〇九条に基づき、原告らが右契約によつて被つた損害(交付金額)を賠償する責任を負う。

同人は昭和五〇年一一月二九日から昭和五一年五月二〇日の間、被告会社の実質上の代表取締役として、被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、民法七〇九条に基づき、原告らが右契約によつて被つた損害を賠償する責任を負う。

(2) 被告小森力夫(以下「被告小森」という)

被告小森は、昭和五二年二月一日から同年一〇月二五日まで取締役の地位にあり、同年一〇月二六日から同五三年一一月二一日まで代表取締役の地位にあつたものであり、その間、同人は、被告会社の代表取締役もしくは取締役として、被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的には商法二六六条の三に基づき、予備的には民法七〇九条に基づき、原告らが被つた損害を賠償する責任を負う。

同人は、昭和四九年四月から五二年一月まで、営業課長、営業部長、社長室長などの役職の立場において、他の被告らと共に被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間になされた契約について、主位的には民法七〇九条に基づき、予備的には民法七一九条一項に基づき、原告らが被つた損害を賠償する責任を負う。

(3) 被告岩井壽雄(以下「被告岩井」という)

被告岩井は、昭和五一年一月一〇日以降取締役の地位にあつたものであり、その間、同人は取締役として、被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的には商法二六六条ノ三に基づき、予備的には民法七〇九条に基づき、原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

同人は、昭和五〇年九月から五〇年一二月の間、総務部長として、セールスマンの教育にたずさわり、他の被告らと共に被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的には民法七〇九条により、予備的には民法七一九条一項により右契約により原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

(4) 被告野田こと寺島慎典(以下「被告野田」という)

被告野田は、昭和五〇年六月三〇日から同五一年五月一九日まで代表取締役の地位にあり、昭和五一年五月二〇日から同五二年三月三日まで取締役の地位にあつたものであり、その間、代表取締役もしくは取締役として、被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的に商法二六六条の三により、予備的に民法七〇九条により、原告らが右契約により被つた損害を賠償する責任がある。

同人は、昭和四九年一二月から昭和五〇年六月二九日の間、営業課長、営業部長、営業本部長などとして、他の被告らと共に被告会社の前記不法行為を推進してきたのであるから、その間の契約について、主位的には民法七〇九条により、予備的には民法七一九条一項により、原告らが右契約により被つた損害を賠償する責任がある。

(5) 被告小山正(以下「被告小山」という)

被告小山は、昭和五三年一一月一六日から同五五年三月三日までの間、代表取締役の地位にあり、その間、被告会社の代表取締役として被告会社の前記不法行為を推進し、あるいは右不法な営業行為を知りながらあえて放置してきたのであるから、その間の契約について、主位的には商法二六六条の三により、予備的には民法七〇九条により、原告らが右契約により被つた損害を賠償する責任がある。

(6) 被告高田

被告高田は極めて著名な俳優、歌手であるが、別表(1)契約番号3ないし6、10、11、20ないし23、50ないし52の各契約について、被告会社の宣伝用映画やパンフレットで、あるいは現地同行の際や購入者対象のディナーショウにおいて、自己の言動の持つ宣伝効果を十分認識しながら、事前に被告会社及びその販売する土地について全く検討することなく、「いい土地である。」「私も少し買つている。」などと言つて、被告会社の推奨(メッセージを受け取る消費者が、広告主以外の人の考え方や信念、発見、経験などを表していると思い込んでしまうような広告用メッセージ)を行うことによつて、被告会社の前記不法行為をほう助したものであるから、民法七一九条二項により、原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

6  よつて、原告らは、それぞれ被告らに対し、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実について

(被告会社、同広瀬)

請求原因一の事実のうち、別紙(1)契約番号1ないし6、10ないし17、20ないし37、39ないし41、44ないし49、53ないし55の契約について、原告らが被告会社と本件土地の売買契約を締結し、原告ら主張の金員を交付したこと、契約番号18、19、38、50ないし52の契約について、原告らが被告会社と本件土地の売買契約を締結したことは認めるが、その余の事実は否認あるいは知らない。契約番号56及び57の契約について、原告田村が被告会社と本件土地の売買契約を締結したことは認める。契約番号9については一筆(別紙物件目録物件番号7の土地)のみの売買契約の締結および原告今井が被告会社に一三五万円を支払つたことを認め、他の二筆については原告今井との契約であることを否認する。契約番号42及び43の契約は知らない。

(被告小森)

別紙(1)契約番号1ないし4、7ないし22、24ないし29、37、38、44ないし51、53、56、57の契約について、請求原因1の事実は知らない。

(被告岩井)

別紙(1)契約番号3ないし17、20ないし23、25ないし57の契約について、請求原因1の事実は知らない。

(被告野田)

別紙(1)契約番号2、3、7ないし10、12ないし15、19、20、24、46、47、49の契約について、請求原因1の事実は知らない。

(被告小山)

別紙(1)契約番号5、6、23、30ないし33、34ないし36、39ないし43、52、55の契約について、被告会社の認否と同じ。

(被告高田)

別紙(1)契約番号3ないし6、10、11、20ないし23、50ないし52の契約について、請求原因1の事実は知らない。

(被告ら全員)

被告会社セールスマンが、本件土地の値上がりを具体的な数字を示して確約し、その価格での買い取りを保証したことはありえないし、仮に値上がりや買い取りの話をしたとしても、具体的な買い取り方法、手数料、履行期、値段の決定方法などを決めていない以上、それは確実な取り決めではなく、そういつたこともありうるという程度の話だつたはずである。また税金対策のため土地を買わなければならないというのは不可解な話で信用できない。

(被告会社、同広瀬、同小山)

被告会社セールスマンが「北海道には新幹線が開通する。土地は値上がりする。」といつたことはあるが、そのような話の際には必ず「土地の買い受けは、一〇年、二〇年単位で考えてもらわなければならない。」旨言つている。

2  同2の事実について

(被告高田以外の被告ら)

同2の事実は否認する。

(被告高田)

同2の事実は知らない。

(被告ら全員)

原告らは、固定資産税の評価額をあげて本件土地が無価値である旨主張するが、評価額と時価とは格段の差があり、地目が山林の場合にその差は特に顕著である。しかも被告会社は本件土地について道路の敷設、造成をしており、これによる価格の上昇がある。実際、被告会社の和議申し立て後の在庫商品としての北海道山林の価格調査をした不動産鑑定士の報告書(乙第二号証の三)によれば、事業継続の場合一坪九〇〇〇円程度と評価されている。また本件土地の仕入れ価格は、一坪三ないし四〇〇円から一〇〇〇円くらいであり、測量費用、造成費用が一坪四〇〇円ないし五〇〇円、植林費用として苗木一本七〇〇円、分筆費用、管理費、原告らの北海道への現地案内費用などの経費を合わせると販売原価は、メイン物件が四〇〇〇円程度、特選物件が一〇〇〇円から一五〇〇円であつて、無価値の土地とは到底言えない。

3  同3の事実について

(被告高田以外の被告ら)

同3の事実は否認する。

(被告高田)

同3の事実は知らない。

(被告ら全員)

原告らが本件土地を買い受けた時期において、北海道新幹線計画は実際に新聞紙上発表されていたし、当時の土地ブームからして鉄道の敷設により地価が予想外に高騰することは十分ありうることであつた。

4  同4の事実について

(被告高田以外の被告ら)

同4の事実は否認する。

(被告高田)

同4の事実は知らない。

5  同5(一)の事実について

(被告ら全員)

同5(一)の事実は争う。

本件土地が価値あるものであることは前述したとおりであり、前記販売原価にセールスマンの給料などの一般経費や税金などを考慮すれば、本件土地の売買代金は正常な取引行為の範囲内である。また売主は商道徳上許される範囲内で宣伝の言葉を述べることは許されるのであるし、原告らは、いずれも十分分別のある年令であるから、セールスマンが原告ら主張の勧誘をしたとしても、それをそのまま信用したとは考えられない。本件売買は投機的性質を持つものであり、原告らも自由な意思のもとに自己の責任においてこのような性質の本件売買契約を締結したものであつて、それをその後低成長時代になり、当初の思惑通り値段が上がらないことをもつて、被告らに責任を転嫁することは許されない。

仮に、被告会社の取引行為が不法行為になるとしても、物件の所有権は原告らに移転しているのであるから、売買代金全額を損害とするのは、不合理である。

(被告小森、同岩井、同野田)

被告会社と原告らの不動産取引は、原告らを現地に案内して見学を行うなど販売物件を十分に説明した上での取引であり、これを不法行為だとする原告らの主張は、明らかに不当である。

(被告高田)

本件取引は、専ら土地の値上がりによる利鞘を獲得することを目的とする投機的取引であり、本件取引が詐欺的商法でないことは、顧客が証券会社を通じて、値上がりすると信じて株式を購入した場合、結果的に値下がりしたとしても詐欺的商法にならないのと同じである。

6  同5(二)の事実について

(被告広瀬、同野田)

被告らが被告会社の代表取締役であつたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(被告小森)

被告小森が昭和五二年一〇月二六日に被告会社の代表取締役に就任したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(被告岩井)

被告岩井が昭和五一年一月一〇日に被告会社の取締役に就任したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。昭和五一年一月一〇日以前は被告会社の総務課長であり、業務内容も営業とは無関係の一般業務であつた。

(被告小山)

被告小山が昭和五三年一一月一六日から同五五年三月三日まで被告会社の代表取締役であつたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(被告高田)

被告高田が、被告会社の販売用ビデオに出演したこと、被告会社のパンフレットに自らも被告会社の北海道の土地を購入した旨記載した挨拶文を自己の名前入りで掲載することに同意したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告高田は被告会社の事業の概要を説明されて広告媒体としての業務を遂行したものであり、被告会社の事業の詳細を知りうる立場になく、被告会社の不正行為への加担などありえない。被告高田が被告会社から土地を買つたことは事実であり、パンフレット掲載の挨拶文には虚偽はないし、また、ビデオやパンフレットが原告らの土地購入意思決定について決定的な役割を果たしたとはいえない。さらに、被告高田が被告会社から委託を受けて仕事をしたのは昭和五一年春以降であり、被告会社について和議の申立がなされたのは昭和五二年夏頃であるから、昭和五〇年以前及び昭和五二年夏以降の被告会社の取引については、被告高田の責任はありえない。

三  抗弁

(被告会社、同広瀬、同小山)

1  契約番号1ないし3、7ないし10、12ないし15、18ないし20、24、37、38、46、47の契約(いずれも昭和五二年四月以前の取引である)について、原告らは、契約に接着した時点で、本件土地の評価額を知つた。

(被告小森、同岩井、同野田)

1  契約番号1ないし3、7ないし10、12ないし15、18ないし20、24、37、38、46、47の契約(いずれも昭和五二年四月二〇日以前の取引である)について、原告らは、契約に接着した時点で、本件土地の評価額を知つた。

(右記被告六名)

2  前項各時点から三年を経過した。

3  被告らは右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実はいずれも否認する。

抗弁1記載の契約をした原告らは、いずれも複数回の契約をしており、原告らは、各人最終の契約をした時までは、被告にだまされたと気付いていなかつたというべきである。そして最終の契約時点から本件提訴(契約番号1ないし3については昭和五五年二月二〇日、その余については同年四月二一日)まで三年を経過しているのは、原告今井(契約番号7ないし9)のみである。そして原告今井についても被告会社にだまされたと気付いたのは昭和五二年一〇月頃であつて、やはり提訴時点まで三年を経過していない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実について判断する。

1  原告倉橋盛雄(以下「原告盛雄」という。)、同倉橋精子(以下「原告精子」という。)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告盛雄は、昭和四九年一一月一八日、被告会社セールスマン松本正昭、藤川昌見の訪問を受け、同人らから、北海道圏総合開発計画図、地籍図を示されながら、午後五時ころから一一時ころまでの間、「銀行の利子では五年たつても一・四倍から一・五倍にすぎないが、大隆の土地を買つて五年おけば、二倍以上の価格で責任をもつて買い取る。大隆の土地は、今は山林だが五年後に宅地になる土地であり、そのために道路も区分している。将来性のある土地である。」などという勧誘を受け、五年先くらいにはマイホーム資金としてまとまつた金がほしいと考えていたこともあり、その言葉を信じて別紙物件目録番号1記載の土地を八五万円で買い受け、右金員を交付した(原告盛雄と被告会社との間では、売買契約締結及び右金員交付の点については、争いがない。)。

(二)  原告盛雄は、昭和五〇年五月一八日、被告会社セールスマンの訪問を受け、貯金の目減り・北海道新幹線についての新聞記事のコピーや地積測量図を示されながら、(一)と同様の内容の勧誘を受け、それを信じ、別紙物件目録番号2記載の土地を四〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告盛雄と被告会社との間では、売買契約締結および右金員交付の点については争いがない。)。

(三)  原告精子は、原告盛雄の妻であり、前記(一)、(二)の際原告盛雄とともに被告会社セールスマンの勧誘を聞いていた者であり、同人は、前項契約後、夫と話し合い、不動産への投資にも不安があることから、これ以上被告会社から土地を買うのはやめようと夫とともに決めていた。

しかるに、昭和五二年二月初めころ、被告会社から、被告高田の推薦文の入つた別紙(3)のパンフレットが郵送され、その後の同月八日、被告会社セールスマンの訪問を受け、右パンフレット、被告高田の北海道現地案内やセスナ機による土地管理の様子を映した映画、現地案内のアルバムを見せられた。そして「高田浩吉は大隆の大得意先で、今では何千万円もの土地を買つているし、高田美和も買つている。大隆の土地は信用できるものである。」などと勧誘を受けたため、原告精子は、有名な芸能人である被告高田が推薦し、自らも買つている土地であるから安心だと思い、別紙物件目録番号3の土地を買い受け、代金五五万円を交付した(原告精子と被告会社との間においては、右売買契約締結および代金の交付については争いがない。)。

(四)  原告盛雄は、昭和五三年一月一七日、被告会社セールスマンの佐藤の訪問を受け、「一件目の土地が八五万円から一三〇万円に、二件目の土地が四〇万円から一〇〇万円に、三件目の土地が五五万円から一一〇万円ないし一二〇万円に値上がりしている。今回の土地は、得意先に限つて特別に半額で奉仕しているもので、五年たたなくても利益がある。」と勧誘を受け、それを信じて別紙物件目録番号4の土地を買い受け、代金九一万五〇〇〇円を交付した(原告盛雄と、被告会社との間においては、売買契約締結及び右金員の交付については争いがない。)。

(五)  原告精子は、昭和五三年一一月二六日、被告会社セールスマン有井和美の訪問を受け、「今まで買つてもらつた四物件は、購入からまだ五年たつていないが、会社の業績が上がつているので売買金額の二倍プラスアルファーで買い取る。その時に税金がかからないようにするために代替地を買つておきなさい。」と勧誘を受け、それを信じて別紙物件目録番号5の土地を買い受け、代金七〇万円を交付した(原告精子と被告会社・被告小山との間においては、売買契約締結および右金員の交付については争いがない。)。

(六)  原告盛雄と原告精子は、昭和五四年九月一九日、被告会社セールスマン小田の訪問を受け、「先日の物件では税金対策として三分の一にしかならないので、あと一五〇万円の追加分を買いなさい。一か月くらいで最初の四物件を二・五倍で買い取るし、また税金対策分の土地も売買金額で買い戻す。金がないなら五〇万円を大隆で貸すし、一か月くらいだから残りの金は銀行から借りたらいい。」と勧誘を受け、一旦は金のないことを理由に断つたが、今度の物件を買えばこれまでの土地を買いとつてもらえることを信じて、別紙物件目録番号6の土地を買い受け、原告倉橋盛雄は七〇万円、原告倉橋精子は三〇万円をそれぞれ交付した。

なお右金員の交付について、当初、原告盛雄の預金から三〇万円、銀行ローンで七〇万円の約束であつたが、被告会社セールスマンは、原告盛雄の預金から三五万二〇〇〇円を払い戻し、さらに原告精子にその友人からの借金で三〇万円を出させ、その上、原告盛雄名義の銀行ローンから八〇万円を払い戻し、結局、原告盛雄から四五万二〇〇〇円を横領した(原告盛雄・同精子と被告会社・被告小山との間においては、売買契約締結および右代金の交付については争いがない。)。

2  原告今井玲子(以下「原告今井」という)関係

<証拠>によれば、次の事実が認められ、これに反する被告小森本人尋問の結果は措信しない。

(一)  原告今井は、昭和五一年秋頃、以前の勤務先の社長である大上清から、北海道の地図や写真を示されながら、「大隆にお客を紹介しているのだが、倶知安の土地を買つてほしい。倶知安は新幹線の停車駅になる予定だから将来絶対に値上がりする。高田浩吉や高田美和も買つている土地だから心配ない。」と勧誘され、定期預金よりも下がらないのであればいいと思い、購入を決意し、その二、三日後、被告会社の女子社員との間で、倶知安高嶺の土地の売買契約を締結し、代金八〇万円を交付した。

(二)  その後一か月くらいして、原告今井は、被告会社セールスマン児玉の訪問を二度にわたつて受け、二度目の時には深夜午前二時ごろまで「あなたが売りたいときには、会社で責任をもつて売却する。最低限、元本と定期預金の利子くらいは保証する。」と勧誘され、右勧誘に応じて倶知安高嶺の土地を九〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(三)  昭和五二年一月三一日午後一一時過ぎごろ、被告会社セールスマンの児玉、雛田(経理部長)、井上の訪問を受け、午前二時ごろまで、「今あなたが持つている土地は高すぎて売りにくい。格安の良いものを特別に紹介するので買つてほしい。この分は半値だし、三〇〇坪が一区画になつているので売りやすい。その代わり、前に買つてもらつた高い方の土地は会社の方で買い取る。大隆は、一〇〇万円や二〇〇万円位の客は、客のうちに入らない。少なくとも四、五〇〇万円以上の客を客として責任をもつて扱う。」などと勧誘されたため、この話を断つてしまうと、以前に買つた土地代金一七〇万円が返つてこなくなるのではないかという不安にかられ、別紙物件目録番号7、8、9の土地を合計四〇五万円で買い受け、以前の購入代金一七〇万円及び値引き分五万円を差し引いた二三〇万円を交付した。なお原告今井は、児玉から、税金を安くするため、名前を変えたほうがいいと勧められたため、別紙物件目録番号8の土地については妹の端野久美子名義で、同9の土地については今井善朗名義で買い受けた(原告今井と被告会社・被告広瀬との間においては、別紙物件目録番号9の土地についての売買契約の締結および代金一三五万円の交付については争いがない。)。

(四)  なお、その後右土地の権利証が届かなかつたので、原告今井は電話あるいは被告会社に出向いて、被告小森に同土地の転売を頼んだところ、同人から、「心配しないでいい。五年先を楽しみにしたらいい。」と言われた。そして右権利証は昭和五二年四月ごろに届いた。

その後昭和五二年一〇月ころ、前記児玉から、お金を貸してくれれば、前の土地を売つてやると言われ、三〇万円を右各土地の権利証のコピーを添えて渡したところ、児玉は所在不明となり、その時点で、原告今井は、被告会社にだまされたと気づいた。

3  原告大東昭次(以下「原告大東」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告大東は、昭和五一年一二月六日、被告会社セールスマン長谷川、児玉政裕の訪問を受け、北海道圏総合開発計画図、北海道新幹線の予定・北海道の地価の値上がりを書いた新聞のコピー、造成が済み一筆一筆が区分され道路がついている地積測量図、被告高田が宴会場で挨拶をしている場面の入つた映画を示されながら、「五年後に北海道新幹線工事が着工され、北海道の土地は値上がりする。留寿都は道路の分岐点にあたり、これからどんどん値上がりする。二年たつたら二倍、三年たつたら三倍、五年たつたら五倍に確実に値上がりする。五年たつたら大隆が五倍で買い戻す。途中でも買い戻す。家を建てようと思えば建てられる状態である。平らな土地である。大隆は高田浩吉とも取引がある。」と勧誘を受け、被告高田とも関係のある会社で信用できると思い、別紙物件目録番号10の土地を九〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告大東と被告会社・同広瀬との間においては、売買契約締結及び代金の交付については争いがない。)。

これに対して、原告大東本人尋問の結果の中には、右の勧誘の際に、別紙(3)のパンフレットを示され、ビデオ(その中で被告高田が被告会社を推薦する挨拶をしていた)の映写があつた、という供述部分がある。しかし、右パンフレットが原告らに交付されたのは、後記五(6)(一)認定のとおり、昭和五二年に入つてからであり、原告大東が勧誘を受けた昭和五一年一二月六日にはまだ交付されていないというべきであり、またビデオの点についても同様に後記五(6)(一)認定のとおり、被告高田が出演したのは映画であり(映画が音声入りのものであつたか否かについては確信を抱くに至らない。)音声入りのビデオではないというべきであつて、いずれも措信できない(なおビデオの点については原告大東の供述もあいまいである)。

(二)  原告大東は、昭和五三年一〇月二五日被告会社セールスマン小田の訪問を受け、「昭和五四年九月に前の土地を転売する。転売したら税金がたくさんかかる。税金がかからないようにするためにもう一筆買つてくれ。昭和五四年九月に、前の土地も今度の土地も併せて転売し、精算する。」と勧誘され、五四年九月までと期間も比較的短く、これで土地を売つてくれるならと思い、別紙物件目録番号11の土地を五〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告大東と被告会社・同広瀬との間においては、売買契約締結及び代金の交付については争いがない。)。なお、この時点までに別紙(3)のパンフレットを示されたという証拠はない。

4  原告佐々木正勝(以下「原告佐々木」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する被告野田被告本人尋問の結果は措信しない。

(一)  原告佐々木の妻佐々木伊勢子(以下「伊勢子」という)は、昭和五一年九月二日に被告会社セールスマン杉原の、翌三日には杉原及び児玉の訪問を受け、九月二日には銀行預金の目減り、北海道新幹線の話などを二時間ほど聞かされ、同月三日には児玉から北海道圏総合開発計画図を示されて、二時間以上にわたり、「北海道は五年先くらいに新幹線が通るから発展する。倶知安に駅ができるから倶知安高嶺の土地を買つてほしい。五年たてば五倍ないし七倍に値上がりし、それを大隆が買いあげる。大隆の北海道銀行に預けたと思つてくれ。」と勧誘され、翌四日に再度右と同旨の勧誘を受け、値上がりが仮に半分でも銀行の利子よりも大きいと思い、別紙物件目録番号12、13の土地を合計一九九万円で買い受け、同月五日に右金員を交付した。

(二)  原告佐々木は、昭和五一年九月八日に、前記杉原及び被告野田の訪問を受け、北海道圏総合開発計画図、被告高田のでている現地案内のビデオを示されて「新幹線が通り値上がりする。土地を証書がわりに持つておいてくれ。」と勧誘され、土地の値上がりを信じ、別紙物件目録番号14・15の土地を合計一五〇万円で買い受け、五年定期の貸付信託を途中解約して右金員を交付した。

(三)  伊勢子は、昭和五一年一〇月二日、被告会社セールスマンの訪問を受けて別紙物件目録番号16の土地を紹介され、被告会社を信用していたことから特段の勧誘を受けることもなく右土地を三〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(四)  原告佐々木は、昭和五一年一〇月二三日から同月二五日まで、被告会社から現地案内に家族四人で招待されたが、その旅行の際、被告会社セールスマン野仲から、「今回は社長のサービスとして値段を安くしますから買つてください」などと何度も新しい土地の購入を勧められため、昭和五一年一〇月二八日別紙物件目録番号17の土地を二五万円で買い受け、右代金のうち二三万六七二〇円をローンで支払つた。

(五)  伊勢子は、昭和五三年二月一八日、被告会社セールスマン佐藤の訪問を受け、「これまでの小さい物件(別紙物件目録番号16、17)を売つてそのお金で別の広い土地を買いなさい。小口の土地は、二、三か月のうちに売却の世話をするから、先に新しい土地を買いなさい。前もつて買つておけば、前の土地を売るときの税金が安くなる。」と勧誘を受け、それを信じて別紙物件目録番号18の土地を五〇万円で買い受け、そのうち四八万五〇〇〇円を交付した。

(六)  伊勢子は、昭和五三年九月二八日、被告会社セールスマン桝田の訪問を受け、同人から、「高嶺の土地(別紙物件目録番号12、13の土地)が、約二・五倍の五〇〇万円くらいで売れる。税金対策として三〇〇万円の代替地を買つてくれないのであれば、前の土地を売らない。金がないなら私が一〇〇万円、大隆が五〇万円を貸すから五〇万円を出してくれ。」と勧誘され、北海道の土地を自分で売ることなどできないため新しい土地を買おうと決心し、別紙物件目録番号19の土地を五〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告佐々木と被告会社・被告広瀬との間においては、以上六回の売買契約締結および代金の交付についてはいずれも争いがない)。

(七)  原告佐々木は、伊勢子の行つた右(一)(三)(五)(六)の売買契約の締結及び右各金員の交付を遅くとも本件訴訟提起時に追認した。

5  原告西村嘉豊(以下「原告嘉豊」という)、同西村ふく子(以下「原告ふく子」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する被告小森本人尋問の結果は措信しない。

(一)  原告嘉豊は、昭和五〇年七月二四日、被告会社セールスマン大川晃、梅崎征二の訪問を受け、北海道圏総合開発計画図、北海道新幹線計画の載つている新聞の切り抜きを示されつつ、「新幹線が通つたら月形町の土地の値段は数倍に上がる。一歳の娘さんが幼稚園に行くまでの間に三ないし五倍で大隆が買い戻す。大隆が計画をもつて転売するから他の業者には売らないでくれ。この土地は新幹線に近く、幹線道路にも近いし、山を越えれば石狩湾、石狩工業地帯が予定されており、そのベットタウンとして有望である。一坪一万二〇〇〇円であるが、サービスで九〇〇〇円にする。」などと勧誘され、土地の値段はどんどん上がつているし、サラリーマンの預金もたいしたことがなく、娘が幼稚園に入るまでに家がほしいと思つていたこともあり、大阪府の宅建免許のある被告会社の土地であるなら試しに買つてみようと思い、別紙物件目録番号20の土地を九〇万円で買い受け、右代金として同日に四〇万円、同月三一日に五二万円の合計九二万円を交付した(原告嘉豊と被告会社・同広瀬との間においては、右売買契約締結の事実については争いがない)。

(二)  原告嘉豊は、昭和五〇年七月三一日、被告会社セールスマン大川、梅崎、被告小森の訪問を受け、同人らから「土地を買つてもらつたお客様だけに祝儀物件として一坪五〇〇〇円で買つてもらつている。旭川の近くで鉄道と道路の分岐点の真ん中なので、交通の便もよく、確実に値上がりする。絶対に損はしない。一坪五〇〇〇円を特別に四〇〇〇円にする。」などと勧誘を受け、値段が前回の土地よりも安く、地図の上では前の土地よりも便利な土地のようであつたため、別紙物件目録番号21の土地を一二〇万円で買い受け、右金員を六回の分割払いで交付した(原告嘉豊と被告会社・同広瀬との間においては右売買契約の締結の事実については争いがない。)。

(三)  その後、昭和五〇年八月、原告嘉豊は現地案内で月形の土地を見学し、特に原野であるという印象は特たなかつたところ、昭和五一年九月一七日、同原告は、被告小森の訪問を受け、被告高田が現地案内をしている映画を見せられ、「高田浩吉も大隆の土地を買つている。高田が高田企画を作り大隆と一緒に土地取引をしている。高田の土地の隣を買つたらいい。五、六年したら大隆が買い戻す。」などと勧誘を受け、その時点ですでに被告会社を信用しており、また被告高田が乗り出しているというのだから見込みがあると思い、別紙物件目録番号22、23の土地を一八〇万円で買い受け、右金員を毎月五万円、ボーナス時三〇万円の分割払いにより交付した(原告嘉豊と被告会社・被告広瀬との間においては右売買契約の締結及び一八〇万円の交付については争いがない)。

(四)  原告ふく子は原告嘉豊の妻であり、それまで原告嘉豊と共に被告会社セールスマンの勧誘を聞いてきた者であるが、昭和五二年五月一九日、被告会社セールスマン児玉、林の訪問を受け、「今までよりも平地で良い場所である。買つておいて絶対に損はない。」などと夫とともに勧誘を受け、別紙物件目録番号22、23の土地を一〇〇万円で買い受け、右代金として九〇万円を交付した。

(五)  原告嘉豊及び原告ふく子は、昭和五二年七月二三日から二五日にかけて、被告会社の現地案内で豊岡ハイランドに行つたが、この時被告高田が同行しており、サインとか記念撮影をしてもらつた。その後、昭和五三年九月一八日、原告ふく子は、被告会社セールスマン片岡、小田の訪問を受け、同人らから、「三年以上たつている土地について買い戻す。年末までには売れるであろうから、税金対策をこちらの言うとおりにすれば、一三六〇万円をお渡しする。税の圧縮のために望来の土地を買つてくれ。買つてくれなければ買い戻しはできない。最低五〇万円必要であるから、一〇〇坪を五〇万円で買つてくれ。望来の土地についても昭和五四年六月には利息をつけて返す。」などと勧誘を受け、土地の買い戻しをしてもらうため、別紙物件目録番号26の土地を五〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(六)  原告ふく子は、昭和五三年一一月二四日、被告会社セールスマン片岡の訪問を受け、同人から、「税の圧縮のためには六〇万円不足している。すぐ用意してもらわないと一三六〇万円は返らない。いよいよ返すから実印を用意しなさい。」などと勧誘を受け、いまここで渋つて一三六〇万円が入つてこなかつたら大変だと思い、別紙物件目録番号27の土地を六〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告ふく子にかかる上記三契約につき、原告ふく子と被告会社・被告広瀬との間においては、売買契約の締結及び各金員の交付について争いがなく、昭和五三年一一月二四日の事実については、原告西村ふく子と被告小山との間においても売買契約の締結及び金員の交付について争いがない)。

その後、原告嘉豊は、被告会社に対し電話での土地の買戻しを催促したところ、被告小森は、「買い取るのは担当の者ではなく大隆ですからご安心下さい」と言つた。

6  原告野島靖巨(以下「原告野島」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告野島は、昭和五〇年二月上旬、被告会社セールスマン二名の訪問を受け、北海道新幹線計画の載つている新聞記事や現地の測量図を示されつつ、同人らから、「この土地は、二年後には新幹線が通るので値上がりする。二年後には二倍、三年後には三倍になる。二年後には大隆が二倍の価格で買い取る。それ以前にも手放したいときには大隆が責任をもつて売却するが、手数料として売値の八パーセントをもらう。一か月くらいで処分が可能だ。」などと勧誘を受け、測量図には道路もついて平坦な土地のようであり、また転売の点が確実であるというセールスマンの言葉を信じて、別紙物件目録番号28の土地を九〇万円で買い受け、右金員を三回の分割払いで交付した。

(二)  原告野島は、昭和五二年一二月五日、被告会社セールスマン佐藤達也の訪問を受け、同人から被告高田らが写つている現地案内のアルバムを示されつつ、「以前買つてもらつた土地を売つてあげる。転売は会社ではなく、セールスマンが個々にやつている。自分の客の中に昭和五三年の九月に三〇〇万円の予算で土地を買いたがつている人がいる。お宅に九〇万円で買つてもらつた土地を三〇〇万円で売るのは高すぎるから、新しく一〇〇万円ほど買つてくれ。来年の九月に合わせて三〇〇万円で売る。譲渡税を二〇万円くらい取られるが、九〇万円くらいの儲けになる。来年九月に必ず売却する旨一筆入れる。」などと勧誘を受け、買い取り期間が比較的短かく、売却について一筆いれるという佐藤の言葉を信じ、別紙物件目録番号29の土地を一〇〇万円で買い受け、右金員を四回の分割払で交付した(原告野島と被告会社・被告広瀬との間においては売買契約の締結及び各金員の交付について争いがない)。

7  原告原田久司(以下「原告原田」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する被告小森本人尋問の結果は措信しない。

(一)  原告原田は、昭和五二年一〇月二〇日、被告会社セールスマン川端一広、佐藤達也の訪問を受け、同人らから北海道新幹線や北海道縦貫自動車道の書き込まれた地図、現地の管理状態や現地案内での宴会に出演している被告高田が写つているスライド、現地案内の写真などを示されつつ、「北海道新幹線が開通すれば土地の価格が上がる。四、五年おけば預貯金の利子よりも土地への投資の方がいい。夢のある北海道の土地を買いなさい。」などと午後七時ころから一一時ころまで勧誘を受け、根負けした形で、銀行預金よりはましだろうと思い、別紙物件目録番号30の土地を一〇〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(二)  原告原田は、昭和五二年一〇月二三日、被告小森の訪問を受け、同人から、前項と同様の地図を示されつつ、「倶知安の土地は新幹線の倶安知駅から近いので地価が上がるから短期で売つてあげる。一、二年すれば車一台分くらい儲かる。」などと勧誘を受け、被告小森が大隆の専務取締役であることから右の言葉を信用し、当時車が欲しかつたことも手伝つて別紙物件目録番号31、32の土地を合計一二〇万円で買い受け、預金通帳(一四五万六九六七円)と印鑑とを交付し、一二〇万円の範囲で引き出す権限を与え、右金員を交付した。

(三)  翌日(昭和五二年一〇月二四日)、被告会社の総務の者が前記預金通帳を持つてきたが、その残額は六九六七円であつた。そこで原告原田は、被告会社に電話したところ、被告小森から、「二五万円を預かつている。その金で六〇万円の倶知安の土地を買つてあげる。」と勧誘を受け、六〇万円の土地を二五万円で買えるならと思い、別紙物件目録番号33の土地を買い受け、前記二五万円を右代金として充当した。

(四)  原告原田は、昭和五三年九月二〇日、被告会社セールスマン小田政廣、片岡憲一の訪問を受け、同人らから、「昭和五二年一〇月の豊岡の土地を大隆が二倍の二〇〇万円で買いあげる。税金対策のために利益一〇〇万円で新しい土地を買いなさい。大隆の規定で、前の土地だけを売ることはできない。新しい土地を買わないと元の一〇〇万円も戻らない。」などと勧誘を受け、今後の土地を買えば一〇〇万円が返つてくると信じて、別紙物件目録番号34、35の土地を合計一〇〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(五)  原告原田は、昭和五三年一一月二二日、被告会社セールスマン桝田利夫の訪問を受け、同人から、「昭和五三年一〇月に買つた土地を他に転売したい。まとめて売りたいのでお宅が了承してくれないと困る。二倍で買いあげるから、利益の一二〇万円の税金対策として新しい別の土地を買いなさい。来年の三月二〇日にこれまでの土地を買い取る連絡をする。」などと勧誘を受け、これでやつと現金が入ると思い、別紙物件目録番号36の土地を一二〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(六)  原告原田は、昭和五三年一一月二六日、前記桝田の訪問を受け、同人から、「山梨の二五万の土地が残つている。この土地が残つていては転売ができない。二倍の五〇万円で売つて新しい土地を買いなさい。新しい土地を買わないとあなたの土地を他に売ることはできない。そうするとまとまらないから二束三文になつてしまう。」と勧誘を受け、金が入らなくては困るので、別紙物件目録番号37の土地を五〇万円で買い受け、右金員を交付した。

8  原告福矢君子(以下「原告君子」という)、同福矢幸司(以下「原告幸司」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する被告広瀬本人尋問の結果は措信しない。

(一)  原告君子は、昭和五四年一一月一四日、被告会社セールスマン河辺の訪問を受け、同人から、北海道新幹線や幹線道路の計画予定が書いてある地図を示されて、「大隆と大宝ハウスとは兄弟のようなもので安心して下さい。生命保険をいくつも掛けるよりも土地に投資したほうがいい。新幹線が開通すればどんどん値上がりする。新十津川の土地は新幹線のすぐ近くである。」などと勧誘を受け、以前に大宝ハウスから中古マンションを購入しており、大宝ハウスを信用していたこともあり、河辺の言葉を信じ、別紙物件目録番号38の土地を八〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(二)  原告君子は、昭和五四年一一月一五日、被告会社セールスマン野村博実の訪問を受け、同人から前項と同じ地図を示され、「新幹線がいますぐにも開通する。この安い時に買つてくれたら三年後には大隆が二倍で買い取る。その代金をマンションの支払いに回せば楽になる。新幹線が開通して、娯楽施設も建つし、民家も建つ。」と勧誘され、また自分の息子(原告幸司)から、同人が五年前に買つたニセコの土地を買いにきている業者があるという話を聞き、北海道の土地の将来性を信じ、別紙物件目録番号39、40の土地を合計一三五万円で買い受け、右代金を交付した。

(三)  原告幸司は、昭和五四年一一月一六日、被告会社において、前記野村及び被告広瀬から、北海道の新幹線や幹線道路の計画予定の書いてある地図を示されながら、「青函トンネルが昭和五八年に開通すれば、人も工場も北海道へやつてくる。北海道新幹線も開通する。北海道の土地は確実に値上がりする。お母さんに買つてもらつた土地は大隆が買い取る。ニセコにはスキー場もあつてこれからどんどん開ける。四年後に二倍で大隆が買い取る。買い取つた金額で大宝ハウスが家を建ててあげる。」などと勧誘を受け、土地なら確実に値上がりするし、大隆が八年近く営業している会社であるから信用できると思い、別紙物件目録番号41ないし44の土地を買い受け、右各土地の代金合計六〇〇万円を交付した。

(四)  原告幸司は、昭和五四年一二月二日被告会社に呼び出され、被告広瀬から、「これまで買つてもらつた土地を四年後に二倍で買い取るとして二四〇〇万円の収入になるが、それに対して一一〇〇万円の税金がかかる。税金対策のために今のうちに同額の土地を買つておくといい。以前に他の業者から五〇万円で買つているニセコの土地を一〇倍の五〇〇万円で買い取るので残りの六〇〇万円を負担してほしい。」などと勧誘を受け、今までに買つた分を税金で無駄にしたくないと思い、別紙物件目録番号45ないし51の土地を一一〇〇万円で買い受け、五二五万円を交付した。

9  原告藤田里司(以下「原告藤田」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

原告藤田は、昭和五四年一一月六日、被告会社セールスマン江福及び小田の訪問を受け、同人らから「財産をためるには、貯金では目減りしてだめで、土地しかない。北海道の土地は、新幹線もできるし、自衛隊の基地もできるから開け、二、三年たてば二、三倍には値上がりする。値上りしたら会社の方で売却をあつせんする。」などと、三時間半以上の長時間勧誘を受け、結局右勧誘に応じて別紙物件目録番号52の土地を一五〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告藤田と被告会社・同広瀬及び同小山との間では、右売買契約の締結及び右金員の交付について争いがない)。

10  原告堀田禎三(以下「原告堀田」という)関係

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  慶子は、原告堀田の妻であるが、昭和五二年四月一一日、被告会社セールスマン増村、松下猛の訪問を受け、同人らから北海道新幹線の新聞記事のコピー、北海道の地図、スライドを示されながら、「北海道新幹線もだいぶできている。倶知安駅ができたら新幹線で札幌から二〇分で行けるようになる。そうすれば会社もでき、そこで働く人も増える。一〇年たつと二〇倍から三〇倍、少なくとも一〇倍にはなる。大阪よりも一〇年遅れているだけで、札幌を中心として必ず上がる。」などと勧誘を受け、それを信じて、原告堀田名義で、別紙物件目録番号53ないし55の土地を合計二七〇万円で買い受け、原告堀田と慶子と共有の貯金から右金員を交付した(原告らと被告会社、被告広瀬及び被告小山との間では、右売買契約の締結及び右代金の交付について争いがない)。

(二)  慶子は、昭和五二年四月一二日、被告会社セールスマン松下の訪問を受け、同人から「昨日のスライドにでていた軍司さんの土地がキャンセルになつたので九〇万円のものだが六〇万円で買つてくれ。あなたの赤ちやん(当時二歳)が中学生になるころには儲かる。」などと勧誘を受け、九〇万円の土地が六〇万円であれば得だと思い、原告堀田名義で、別紙物件目録番号56の土地を六〇万円で買い受け、前項と同じ貯金から右金員を三回の分割払いで交付した(原告堀田と被告会社及び同広瀬との間では右売買契約の締結について争いがない。)。

(三)  慶子は、昭和五四年八月四日、被告会社セールスマン有井の訪問を受け、同人から、「前に買つている土地を倶知安の新幹線の駅の近くの土地に買い替えなさい。こつちの方が上がりやすい。駅の近くで駅まで歩いて行ける。売るときもすぐ売れる。今一〇〇坪一五〇万円しているが、あと八〇万円だせば、前の土地と替えてあげる。」と勧誘を受け、この土地の方が得だということを信じ、別紙物件目録番号57の土地を、慶子名義で八〇万円で買い受け、(一)と同じ貯金から右金員を交付した(原告堀田と被告会社及び同広瀬、同小山との間では、右売買契約の締結及び右金員の交付について争いがない。)。

(四)  慶子は、昭和五四年八月六日、被告会社セールスマン有井の訪問を受け、同人から、「前に買つてもらつた留寿都の土地の一筆が奥さん名義になつているので、買い替えるとなると奥さんにも倶知安の土地を買つてもらわないと、奥さんにも税金がかかる。一〇〇坪一〇〇万円だけど八〇万円にしてあげる。」などと勧誘を受け、それを信じ、別紙物件目録番号58の土地を八〇万円で買い受け、定期預金及び郵便局からの貸付けにより、右金員を交付した(原告堀田と被告会社、同広瀬及び同小山との間では、右売買契約の締結及び右代金の交付について争いがない。)。

(五)  慶子は、昭和五四年九月二八日、被告会社の現地案内で羊蹄山のふもとに行つた際、被告会社セールスマン有井から、「新十津川に良い土地がある。今、奥さん名義で北海道の土地を持つているだろう。源泉徴収がないのに土地を持つていたら、売るときに税金などでややこしい。主人名義に変更しなければだめだ。倶知安の土地が一五〇万円になつているので、それを買いあげてやるから、あと一五〇万円を出してくれれば三〇〇万円の新十津川の土地を売つてあげる。二年ぐらいしたら一・七五倍になる。二年たつたら責任をもつて他に売つてやる。」などと勧誘を受け、それを信じて、原告堀田名義で、別紙物件目録番号59の土地を代金三〇〇万円で買い受け、一〇〇万円を銀行から借りて、右代金として一五〇万円を交付した(原告堀田と被告会社及び同広瀬、同小山との間では、右売買契約の締結及び右代金の交付について争いがない。)。

(六)  慶子は、昭和五五年二月六日、大栄物産の有井の訪問を受け、同人から「大隆が今税務署から手入れを受けているので、三年くらいは堀田さんの土地を他に売つてあげることができない。今まで北海道の土地の管理だけしていた大栄物産が売つてあげる。私が大栄物産の部長になつた。大栄物産で売るためには、大栄物産のお客さんになつてもらわなければならない。六〇万円で別の土地を買つてくれ。」などと勧誘を受け、慶子名義で、別紙物件目録番号60の土地を六〇万円で買い受け、右金員を大栄物産に交付した。

(七)  慶子は、昭和五五年二月七日、大栄物産の有井の訪問を受け、同人から、「亀岡の土地を担保に大隆の取引銀行から二〇〇万円借りてあげる。大隆の取引銀行の方が利息が安いので、それで、前に郵便局から借りている五〇万円と銀行から借りている一〇〇万円を返しなさい。」と言われ、銀行から借りるために二〇〇万円の手形を書かされ、別紙物件目録番号61の土地の売買契約書に署名した。同月一四日、片岡から、電話で二〇〇万円の支払いを催促され、翌日には右手形を金融屋に回すと言われ、しかたなく六六万一〇〇〇円を交付するとともに、片岡あてに七〇万円の借用書と六三万九〇〇〇円の約束手形を交付した。

(八)  原告堀田は、慶子による右各土地の売買契約の締結及び右各金員の交付を、遅くとも本件訴訟提起時において追認した。

11  原告山本禎雄(以下「原告山本」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する被告小森本人尋問の結果は措信しない。

原告山本は、以前に、甲隆株式会社から、北海道の土地約八〇〇坪を甲隆セールスマン佐藤が後日転売することを条件に買い受けたが、佐藤が被告会社に移つた後に行方不明となつてしまい、転売の話が立ち消えになつてしまつたので、昭和五三年一一月初め頃、転売の話をしに被告会社に行つたところ、被告小森から、「大隆の方でなんとかしよう。」と言われ、さらに同月一五日、被告会社セールスマン桝田の訪問を受け、同人から、「これまで甲隆で買つた土地を全部転売してやる。買い手は京都の大きな織物問屋だ。土地をそのまま売れば、六割の税金がかかつてしまう。倍に売るとして一二〇〇万円だが、利益分で代替土地を買つておけば、税金がほんのわずかで済むから、大隆で六〇〇万円程土地を買つてくれ。」などと勧誘を受け、それを信じて、同日、別紙物件目録番号62ないし64の土地を三〇〇万円で、同月一七日、別紙物件目録番号65、66の土地を三〇〇万円で、それぞれ買い受け、右金員を交付した(一五日契約分については、原告山本と被告会社、同広瀬との間で、一七日契約分については、原告山本と被告会社、同広瀬及び同小山との間で、いずれも右各売買契約の締結及び代金の交付について争いがない。)。

12  原告吉住信彦(以下「原告吉住」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告吉住は、昭和五二年二月一三日、被告会社において、被告会社セールスマン雛田裕次から、「土地は二、三倍に値上がりすることは確実だから、特別にいい土地を世話する。二、三年たつたら大隆が買いあげる。」などと勧誘を受け、それを信じて、別紙物件目録番号67の土地を一〇〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(二)  原告吉住は、昭和五二年二月二〇日、被告会社セールスマン児玉、松本正昭の訪問を受け、同人らから、「土地は値上がりすることは確実だ。三年も待てば二倍、三倍の値で必ず売つてあげる。定期預金、貸付信託、国債よりも有利だ。新幹線が通るし、ますます有利だ。」などと勧誘され、それを信じて、別紙物件目録番号68の土地を二〇〇万円で買い受け、右代金を交付した。

(三)  原告吉住は、昭和五三年九月一〇日、被告会社セールスマン桝田利夫の訪問を受け、同人から、「あなたに買つてもらつた土地を含め、豊岡の土地を一括して売る。一五〇万円上積みして売るから、その利益で別の土地を買つてほしい。そうすれば税金もかからない。豊岡の土地は一〇月三〇日までには間違いなく売れると思う。金を出さずに買えると思つて。」などと勧誘を受け、別紙物件目録番号69の土地を五〇万円で買い受け、右金員を交付した(以上三契約について、原告吉住と被告会社、同広瀬との間で、右各売買契約の締結及び右各金員の交付について争いがない)。

13  原告林敏子(以下「原告林」という)関係

<証拠>によると次の事実が認められる。

原告林は、昭和五〇年一〇月初め頃、被告会社セールスマン藤川昌見、伊藤昇の訪問を受け、同人らから北海道の土地を買わないかと言われて、ビデオを見せられ、その後同月一五日に、再度、藤川の訪問を受け、同人から、「五年すると今の値段の倍になる。五年すると大隆が他に売る。東日本大学があり、新幹線がつく。」などと勧誘を受け、それを信じて、別紙物件目録番号70の土地を一二〇万円で買い受け、右金員を交付した(原告林と被告会社及び同広瀬との間では、右売買契約の締結及び右代金の交付について争いがない)。

14  原告大路康治(以下「原告大路」という)関係

<証拠>によれば、次の事実が認められ、これに反する被告広瀬、同小森本人尋問の結果は措信しない。

(一)  大路千代子(以下「千代子」という)は、昭和五三年五月一五日、被告会社セールスマン桝田利夫の訪問を受け、北海道の土地の購入を説得され、契約のために預金通帳をもつて、被告会社に連れ出された。そして被告会社において被告広瀬及び被告小森から、土地の図面や被告高田の推薦文の載つた別紙(3)のパンフレットを示されながら、「五年後には、三倍から五倍で大隆が土地を買い取る。現在でも坪一万数千円の値打ちのある土地でそれだけでも安い値段だ。その上新幹線が通るので土地がすぐに開け、値段が上がる。高田浩吉も買つているから間違いがない。」などと勧誘を受け、以前からファンであつた高田浩吉が自ら被告会社の土地を買つており、しかもそれを推薦していることから安心するとともに、土地の値上がりを信じて、別紙物件目録番号71の土地を一一二〇万円で買い受け、右代金を交付した。

(二)  千代子は、昭和五三年五月三一日、前記桝田の訪問を受け、同人から前記と同様の内容の勧誘を受け、さらに「この土地を買わなければ前の土地の買い戻しもできなくなるかもしれない。そうすれば、前に払つたお金も無駄になつてしまうかもしれない。」と言われ、前記勧誘文言を信じ、かつ前に買つた土地が無駄になつては困ると思い、原告大路名義で別紙物件目録番号72の土地を一四〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(三)  千代子は、昭和五四年一二月頃には、脳軟化症にかかつていたが、そのころ被告会社セールスマンの訪問を受け、「前に買つてもらつた土地は値上がりしているが、税金対策もあるから、さらに買い増ししてはどうか」などと勧誘され、それを信じて、別紙物件目録番号73の土地を二〇〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(四)  千代子は昭和五五年七月二二日死亡し、原告大路はその唯一の相続人として同女を相続した。

15  原告松下太郎(以下「原告松下」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告松下は、昭和五二年一二月一七日、被告会社セールスマン三谷、佐藤の訪問を受け、同人らから、「北海道の豊岡に新幹線が五年後につく、三年間待てば、三倍から五倍に値上がりする土地だから、持つていて損はない。お金が必要な時には、いつでも買いあげる。」などと勧誘を受け、新幹線が通るなら値上がりすると思い、またお金の必要なときには買いあげてくれることに安心して、別紙物件目録番号74の土地を一二〇万円で買い受け、生命保険を解約して右金員を交付した(原告松下と被告会社、同広瀬との間において、右売買契約の締結及び右代金の交付については争いがない)。

(二)  原告松下は、昭和五三年一二月一〇日、被告会社セールスマン小田の訪問を受け、同人から、「前に買つてもらつた豊岡の土地が、周りの土地と一緒に売れるようになつた。お宅の土地は四〇〇万円で売れるが、税金がすごくかかるので、税金対策のために代りの土地を買いなさい。今度買つてもらう土地は、代金九〇万円に三分の一の利息をつけて、一一七万円で買い取る。昭和五四年三月二〇日に四〇〇万円と一一七万円との合計五一七万円を渡す。」と勧誘を受け、これを信じて別紙物件目録番号75の土地を九〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(三)  原告松下は、昭和五四年一〇月一日、被告会社セールスマン野村博實の訪問を受け、同人から「最初に買つてもらつた土地を売るためには、代替地を買つてもらわないといけない。二回目に買つてもらつた土地は会社の手続きでは代替地になつていないので、代替地をもう一度買つてほしい。そうしないと最初の土地も売れない。」と勧誘を受け、前に出したお金が戻つてこないと困るため、別紙物件目録番号76の土地を五八万円で買い受け、右金員を交付した(以上二契約について、原告松下と被告会社、同広瀬及び同小山との間においては、右各売買契約及び右各代金の交付について、いずれも争いがない)。

16  原告田村寅一(以下「原告田村」という)関係

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  原告田村は、昭和四八年一一月二八日、被告会社から岡山の土地を三五五万円で買い受けた者であるが、昭和五三年三月七日、被告会社セールスマンの訪問を受け、同人から、「前に買つてもらつた岡山の土地が売れることになつた。このまま売つたら税金が高くつくから、税金対策として北海道の土地を買つてほしい。北海道には新幹線が通り、この土地は値上がりする。三、四年で大隆が買い戻す。」などと勧誘を受け、前の土地が売れることに安心し、また北海道新幹線が通るなら北海道の土地も値打ちがあると思い、別紙物件目録番号77の土地を一三〇万円で買い受け、右金員を交付した。

(二)  原告田村は、昭和五三年七月、三度にわたり被告会社セールスマンの訪問を受け、同人らから、「あなたの買つた岡山の土地がロイヤルホテルに売れた。この前の豊岡の土地だけでは、岡山の土地の税金対策として足りず、代金の半分以上が税金で持つていかれる。もう一口北海道の土地を買つてほしい。三、四年したら大隆が買いあげる。」などと勧誘を受け、特に三度目のセールスマンは契約書まで作り、代金の支払いを求めてきた。原告田村は、まだ契約には同意していなかつたので、右契約書を持つて、同月二四日、被告会社に売買の取消を求めに行つたところ、被告広瀬から、「せつかく契約書まで作つたのに私の顔をつぶす気か。」と言われ、岡山の土地の代金の分も税金に取られてはもつたいないという気持ちも働き、別紙物件目録番号78ないし80の土地を合計三二〇万円で買い受け、右金員を交付した。

二請求原因2の事実について判断する。

1  <証拠>によれば、原告らが被告会社から買い受けた土地の①位置、交通の便、②現況、集落、③付近の取引事例、④開発の見込み、⑤固定資産税評価額(一坪当たり)は、次のとおりであることが認められ、これに反する被告広瀬、同小森、同町田の各本人尋問の結果は措信しない。

(一)  倶知安町山梨

① 函館本線倶知安駅から約一五ないし二〇キロメートルの所にあり、普通乗用車を使えば近くまで行けるが、バスでは途中までしか行けない。

② 傾斜地であり、ほとんどが雑木林・原野状の土地であつて、区画整理はされておらず小面積の土地の特定は困難である。人家は全くない。

③ 一坪一万円ないし二万五〇〇〇円の取引事例がある。

④ 開発の見込みは少ない。一万平方メートル程度なら植林は不可能ではないが、三三〇平方メートル程度では利用価値はほとんどない。

⑤ 昭和五五年度、六〇年度とも一坪当たり二円ないし四円である。

(二)  留寿都村豊岡

① 道道岩内洞爺線から二キロメートル入つたところにあり、鉄道、路線バスなどはないが、未整備の道が途中まであり、車で入れる所もある。

② やや平坦な原野であり、道道の付近には人家があるが、奥にはない。

④ 村の開発計画なし。

⑤ 昭和五五年度、昭和六〇年度の評価額は、五円ないし六円である。

(三)  厚田村望来川奥

① 札幌沼田線の石狩太美駅から車で四〇分行き、そこから徒歩で一時間の山の中。登山道を歩き、川に丸太を渡して渡る必要がある。

② 三〇度から五〇度の急斜面であり、川底の場所もある。人家、畑は全くなく、人の入らない所である。

③ ダム建設事業に際しての国の任意買取価格は、一平方メートル一〇〇円である。

④ 宅地化は望めない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は四円、昭和六〇年度の評価額は六円である。

(四)  倶知安町高嶺

① 函館本線倶知安駅から一五ないし二〇キロメートル離れた原野状の土地であり、普通乗用車で近くまで行けるが、バスでは途中までしか行けない。

② 傾斜地であり、ほとんどが雑木林・原野状の土地で、小面積の土地の特定は困難である。人家はほとんどないが、隣接の字名地区には農家が点在している。

③ 一坪一万円から二万五〇〇〇円の取引事例がある。

④ 開発の見込みは少ない。一万平方メートル程度なら植林も可能であるが、三三〇平方メートル程度では利用価値はほとんどない。

⑤ 昭和五五年度、昭和六〇年度の評価額は二円ないし四円である。

(五)  喜茂別町比羅岡

① 喜茂別駅から約五キロメートル離れた土地である。

② 山の斜面で、標高約三〇〇メートルの土地であり、付近に人家はなく、宅地としては不適当である。

④ 開発計画はない。新幹線予定の倶知安駅は二五キロメートル先であり、喜茂別町には直接関係しない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は九円、昭和六〇年度の評価額は一〇円である。

(六)  月形町知来乙

① 道道月形厚田線の横約五〇〇メートルの土地であり、札沼線知来乙駅(無人駅)から六キロメートル離れている。冬期は除雪されず、汽車・バスなどの交通機関はない。

② 崖のような沢の隣で、斜度一五度ないし一六度の土地である。人家はなく、一番近い人家まで二・五キロメートルある。

④ 開発の見込みは今のところない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は二円ないし三円、昭和六〇年度の評価額は六円である。

(七)  比布町

① 公道から一二〇〇メートルないし二〇〇〇メートル林道を入つた土地で、右の林道は車の通行困難である。公的交通機関はない。

② 山林の中腹であり、立木や草が生い茂つていて、土地の特定は困難である。宅地造成は無理である。

③ 一〇〇〇平方メートルあたり五ないし六万円である。

④ 開発の見込みはない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は五円、昭和六〇年度の評価額は五円ないし一五円である。

(八)  真狩村美原

① 函館本線ニセコ駅から一五キロメートル、真狩市街地から三キロメートルの土地で、道南バスがある。

② 雑木のはえた凹凸ある原野で、人家集落まで約二キロメートルある。

③ 地元間の取引では、三〇〇坪当たり三ないし五万円である。

④ 開発の見込みは、当分の間ない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は四円ないし六円、昭和六〇年度の評価額は五円ないし一〇円である。

(九)  新十津川吉野

① 新十津川町役場から一七キロメートルの所から山を登る。公道から現地に入る道がなく、もつとも近い農村から山を二つ越えなくてはならず、普通の装備では現地に入れない。

② 原始林の山中を木や草を伐採しただけの土地で、人が住むことはできない。人家のあるところまで約二キロメートルある。

④ 開発見込みはまつたくない。

⑤ 昭和五五年度の評価額は四円、昭和六〇年度の評価額は五円である。

(一〇)  留寿都村字留寿都

① 留寿都市街地から約二キロメートル離れた土地で、道道留寿都喜茂別線から村道を約二〇〇メートル入つた所。付近まで車で行けるが、付近には人家がまつたくない。

② やや平坦な土地である。

④ 村としての開発予定はない。

⑤ 昭和五四年度、昭和六〇年度の評価額は五円である。

(一一)  留寿都村字登

① 国道二三号線から村道泉川旭野線さらに登尻別線を約一・五キロメートル入る。

② 村道登尻別線の起点付近には、学校、農協の支所がある。

④ 村としての開発予定はない。

⑤ 昭和五五年度、昭和六〇年度の評価額は五円である。

(一二)  ニセコ町黒川

① ニセコ駅からバスに乗り、バス停から約三キロメートルの所である。

② 傾斜があり、農地には不適当の土地。近くに黒川部落がある。

④ 開発予定なし。

⑤ 昭和五四年度の評価額は七円、昭和六〇年度の評価額は九円である。

(一三)  新十津川町字幌加

① 町の中心から一〇ないし一五キロメートル離れており、公道から現地に入る道はない。

② 斜面の土地で、人家まで約二キロメートルある。

④ 開発計画はない。

⑤ 昭和五五年度、昭和六〇年度の評価額は二円である。

(一四)  喜茂別町字花丘

① 喜茂別駅から約一二キロメートル、北鈴川駅から約七キロメートルの所にあり、現地へのバスはない。

② 標高約四五〇メートルの山岳地で、冬期は積雪のため現地に行けない。約二キロメートル国道よりには花丘部落があるが、現地付近には人家はない。

④ 町自体の開発計画はない。新幹線予定の倶知安駅から二五キロメートル離れており、新幹線による直接の影響はない。

⑤ 昭和五五年度、昭和六〇年度の評価額は六円である。

(一五)  喜茂別町字尻別

① 北鈴川駅から約七キロメートル離れた土地である。

② 斜面の土地で、宅地としては不適当である。付近に人家はない。

④ 町自体の開発計画はない。新幹線予定の倶知安駅から二五キロメートル離れており、新幹線による直接の影響はない。

⑤ 昭和六〇年度の評価額は八円である。

2  前項で認定した本件各土地の状況から本件土地の価値を判断するに、本件各土地には、以下の理由から、原告らが購入した時点において、利殖対象の物件としての価値はなかつたものと認められる。

まず、価値の判断の基準であるが、前記一において認定したとおり、原告らと被告会社とは、本件土地を長くとも五年程度の期間(ただし、原告堀田の別紙1の契約番号37、38の契約については約一〇年)をめどにした利殖物件として売買をしているのであるから、本件土地の価額・値上がりの可能性についても、右期間(以下「利殖期間」という)に限定して判断するべきであり、それ以上先の少くとも被告らが主張し、かつ被告広瀬が供述するように二〇年あるいは三〇年といつた遠い将来の可能性まで考慮の対象とすべきではない(もつとも、そのような遠い将来に本件土地が利殖物件となりうる程度に値上がりする可能性を具体的に裏付けるような資料も本件では全く提出されていない。)。

このような見地から本件各土地の価値を検討するに、前項(三)、(七)、(八)の各③において認定した右各土地の取引価格ないしは国の任意の買取価格は一坪一〇〇円ないし三三〇円であり、<証拠>によれば、右価格が本件各土地の時価にほぼ匹敵することが認められ、これが原告ら購入価格に比して極めて低いことは明白である。また、このことは、本件各土地の固定資産税評価額からも推認できる。すなわち本件各土地の昭和五五年度固定資産税評価額は、いずれも一坪一〇円未満であり、同六〇年度の評価額も最高で一五円であり、評価額が時価よりも相当程度低いことを考慮しても、その時価が原告らの購入代金に比して著しく低いことが推認できるというべきである。そして本件各土地は、その所在地、交通の便、現況、集落の有無、開発計画の有無のいずれの点からしても、原告ら購入時点から前記利殖期間内に、原告らの購入代金額に到達する可能性は全くなかつたものであり、さらに進んで言えば、右期間内においては、本件各土地の時価は、ほぼ同一でしかありえない状態であつたと言うべきである。しかも原告らは、本件土地に住むのではなく、それを処分して換金することを目的としており、被告会社もそのような目的の土地として本件各土地を売つているのであるから、価値の有無の判断においては、その処分可能性も考慮に入れるべきところ、本件各土地はいずれも山林あるいは原野であり、<証拠>によれば、取引も何町歩という単位でなされており、原告らの購入土地のように一〇〇坪程度の広さでは単独で処分できないのであつて、特別の処分ルート(被告会社の買取や一括転売斡旋など)が確立されていないかぎり、計算上多少の価値が認められたとしても、現実には換金性がないという意味で利殖対象の物件としては無価値と評価するべきである。

もつとも、<証拠>によれば、被告会社の和議申立後の在庫商品としての北海道山林の価格調査をした不動産鑑定士が、事業継続の場合右山林は一坪七九三〇円ないし九九二〇円程度と評価していることが認められる。しかしながら、右の評価は、被告会社の同業者の分譲価格を基礎にしたものであり、被告会社が、これまでの販売方法を継続した場合に、在庫商品たる土地をいくらで売れるかという観点から評価したものであつて、土地の客観的価値を評価したものとはいえない。のみならず、被告会社の販売方法が違法であるか否かが問題の本件においては、右販売方法による代金額を前提にして本件土地の客観的価値を推測することも相当ではないものというべきである。

また、同証拠によれば、事業閉鎖の場合には、事業継続の場合の三分の一程度と評価していることが認められる。しかし、右評価は、本件土地の一般需要者がないと考え、同業者が仕入れることを前提に評価したものであつて、間接的ではあるが、やはり同業者の販売価格を基礎にしているのであり、土地の客観的価値を評価したものとはいえない。

さらに、被告らは、本件土地の仕入れ価格が一坪三〇〇円ないし一〇〇〇円であること、測量費用、造成費用として一坪四〇〇円から五〇〇円かかり、その他管理費現地案内費用、セールスマンの報酬などの諸経費がかかることから本件土地に価値があることを主張し、右各費用の出費についてそれにそう<証拠>もある。しかしながら、<証拠>によれば、被告会社の土地仕入れ先及び土地管理の委託先である有限会社北拓管財(以下「北拓管財」という)の代表者佐坂文彦は、被告会社の最高幹部の一人で、北海道常駐の専務であることが認められ(これに反する被告広瀬本人尋問の結果は措信しない)、その仕入価格について、それが時価を反映したものであるかは極めて疑わしいというべきであつて、北拓管財からの仕入れ価格をそのまま本件土地の価値の評価に結び付けることはできない。また管理費用などの点についても、その費用が本件土地の価値に結び付いていない場合には、その費用を根拠に土地の価値を認めることができないのは言うまでもないことであるところ、本件土地が前記認定のとおりの状況で、そもそも小面積の分譲には適さない土地であることに鑑みれば、測量や造成及び道路の設置をしたところで、土地自身の価値には直接影響しないと言うべきである。

なお前掲<証拠>によれば、倶知安町の土地について一坪一万円ないし二万五〇〇〇円の取引事例があることが認められるが、前記認定の土地状況のもとで、右の価格が時価を反映した適正なものと考えることはできず、右取引事例を理由に本件土地の価値を認めることはできない。

また、<証拠>によれば、北海道虻田群倶知安町字大和七三番二二、同所七三番二三の地目山林の土地について、道路工事に伴なう土地買収の申込みが、一坪二〇一六円でなされたことが認められる。しかしながら、右土地の状況と本件土地の状況との類似性を示す証拠がないから、右価格をもつて本件土地の時価を推認することは相当でない。

もつとも、土地には潜在的な利用価値があることから、大規模な開発計画の対象になつたりする具体的な予定があれば、それを見越しての投資の対象となり、それが土地の価格を突然引き上げることも十分にありうることではある。そして<証拠>によれば、北海道について、原告らが本件土地を購入した時点において、北海道新幹線の基本計画及び整備計画が決定していたことが認められる。しかし成立に争いがない甲第一〇号証によれば、右計画はいずれも主要な経過地を示しているだけであつて、参考のため略図が作成されている程度であり、路線及び着工年度については未定のままであることが認められ、しかも前記で認定した本件土地の状況からして、新幹線の設置が、本件土地の価格に及ぼす波及効果は、極めて間接的なものであると解するのが相当であることに鑑みれば、新幹線の単なる基本計画及び整備計画の存在だけでは、前記利殖期間内に本件土地の価値に影響を及ぼす可能性はなかつたものと言うべきである。

また<証拠>によれば、原告らが本件土地を購入した時点で、北海道総合開発計画があつたことが認められるが、これも前記認定の本件土地の状況に照らせば、前記利殖期間内に本件土地の価値を急激に押し上げる可能性はなかつたと認めるのが相当である。

以上からして、本件土地には、原告らの利殖対象物件としての価値がなかつたものと認められる。

三前項で認定したとおり、本件土地は、利殖物件として無価値のものであり、原告ら購入時から利殖期間内において、売買価格以上に値上がりする可能性が全くなかつたのであるから、本件土地を値上がりの可能性のある利殖物件として購入を勧誘すること自体欺罔行為になるというべきである。ここで被告会社セールスマンの勧誘文言をみるに、その文言は前記一認定のとおり様々であるが、大別すると①本件土地は値上がりする、②被告会社が本件土地を売買価格以上の値段で買い取る、③前に買つてもらつた土地が値上がりしたので転売するが、転売に先立つて代替物件を買つておけば税金が安くなる、の三つであつて、これらの文言は、いずれも、本件土地が前記利殖期間内に売買価格以上に値上がりする可能性のあることを前提にしたものである(③については前に買つた土地が実際に値上がりしたことを前提にするものである)。したがつて、被告会社セールスマンの原告らに対する勧誘はいずれも欺罔行為になるというべきである。もつとも、②については、被告会社が本件各土地を時価を離れて売買価格以上の価格で買い受ける意思を持つていたとすれば、本件土地について値上がりの可能性がなくとも欺罔行為にはならない。しかし本件全証拠によつても、被告会社が原告から売買価格以上の値段で買い戻す意思を持つていたということをうかがわせる証拠はないのであり、かえつて被告らは被告会社の買戻しの意思を固く否定しているのであるから、②についても被告会社セールスマンの欺罔行為性を否定することはできない。

四被告会社の責任について

前項で認定したとおり、被告会社セールスマンの原告らに対する勧誘はいずれも欺罔行為にあたる。

そして、<証拠>によれば、被告会社はセールスマンを主として新聞広告で募集し、採用者に対して一週間ないし一〇日間の教育期間を設け、論議、勧誘文言の反復練習及びロールプレイングの方式でセールスの方法を教育していたこと、教育内容については被告広瀬が指示していたが、役員及び営業課長、営業部長の参加する役員会でのその内容を了承していたことが認められ、さらに前記一のとおり、被告広瀬、同小森、同野田については、「新幹線が通り値上がりする(契約番号13)。五、六年で大隆が買い戻す(契約番号20)。税金対策のために同額の土地を買つておくといい(契約番号35)。」などの勧誘文言を自ら使つて原告らに対して土地の購入を勧めていることが認められる。

以上の事実によれば、被告会社セールスマンが行つた勧誘は被告会社の教育・指示に基づいたものと推認することができる。そして、被告広瀬、同小森、同野田の各本人尋問の結果によれば、被告会社代表者は、本件土地を仕入れる際に、その評価証明を見るとともに、その土地の状況を北拓管財の佐坂から説明を受け、あるいは実際に現地に赴くことにより、その概要を把握し、その上で、その土地の販売価格及び販売方針を決めて、それを営業課長以上の幹部に説明・指示していたことが認められ、この事実に前記二1の各事実(本件土地の状況)を合わせ考えれば、被告会社(代表者)は、同社が行うセールスマンへの勧誘文言についての指示・教育が、虚偽であることを知つていたことが推認できるから、結局、被告会社はセールスマンを使つて、原告らに対して欺罔行為をしていたものと認められる。

これに対して、被告広瀬、同小森、同岩井、同野田の各本人尋問の結果の中には、被告会社はセールスマンに対して、①土地の値上がりについては、一〇年ないし二〇年単位で説明し、値上がりの幅について価格が何倍になるといつた具体的な数字を明示しないこと、新幹線についても開通するのは一〇年ないし一五年先の見込みであること、②転売については、採算が採れるようになつた時に希望すれば転売できるが、必ずしもできるとは限らないことの説明をすること、被告会社が買い戻すことを勧誘文言としてはならないこと、③税金については、土地を買つた場合に固定資産税が、売つた場合に所得税がそれぞれかかることは説明するが、税金にからめて代替地の勧誘をしてはならないこと、を教育・指示したという供述部分がある。

しかしながら、本項中の前記認定事実からして、セールスマンが被告会社からの教育・指示に反した勧誘文言を使うことは考えられず、また被告ら自身も右供述部分とは異なつた勧誘をしていること前記のとおりであり、これらのことに鑑みれば、右供述部分は措信できない。

なお、被告らは、①原告らが分別ある年令であり、投機的性質を持つ本件契約を自己の自由な意思と責任で締結したこと、②被告会社は、本件土地について現地案内による十分な説明をしていること、を被告会社の不法行為責任否定の理由として主張する。

しかしながら、原告らが本件土地が利殖の対象になると誤信したことは前記認定のとおりであり、被害者の年令いかんにかかわらず詐欺による不法行為が成立しうることは言うまでもない。また本件取引が利殖とともに投機的側面を持つていたことは否定できないが、前記認定のとおり、本件土地は少なくとも五年ないし一〇年の将来において購入代金以上に値上がりする可能性がなかつたのであるから、そもそも投資の対象にもならないものであり(この点で株式と根本的に異なる)、これを投機の対象として原告らに売却することによつても詐欺による不法行為は成立する。次に現地案内の点であるが、仮に居住目的の売買であれば、現地を案内し、正しい物件説明をした上で売れば詐欺にはならないであろう。しかし、本件は利殖目的の売買なのであるから、売主は、まずもつて、その土地の価格を正しく買主に説明する義務があり、現地案内をしたことにより十分な説明をしたものということはできない。しかも本件全証拠によつても、被告会社が原告らに対して各人の購入地そのものを案内したことを認めるに足りないのであり、したがつて、現地案内の事実をもつて被告会社の責任を否定する根拠とすることはできない。

よつて、被告会社は、不法行為責任に基づき、本件各土地を同会社から買つた原告らに対して、その損害を賠償する責任がある。ただし原告盛雄については九五万円(この九五万円は民法四八九条三号により別紙(1)契約番号1の八五万円と同2の四〇万円のうちの一〇万円に充当される)、同山本については二〇万円(これも同様に右契約番号4のうち二〇万円に充当される)の被告会社からの返済額をそれぞれ差し引いた金額につき責任を負う。なお、原告盛雄に関しては、被告会社セールスマンが横領した四五万二〇〇〇円についても、民法七一五条に基づき被告会社が責任を負う。

もつとも、原告らの交付金額全額が直ちに原告らの損害になるものではなく、交付金額から本件土地の価値相当分を差し引いた額が損害額になるというべきである。たしかに本件土地は原告らにとり利用価値がなく、しかも換価することも極めて困難な土地であつて、利殖対象物件としてほとんど無価値というべきものであることはすでに説示した。しかし、原告ら自身も、本件土地の時価が少くとも一坪五〇円ないし一七〇円程度であることは自認している。また、本件土地の一部の隣接地ではあるが、その取引価格ないし国の任意の買収価格は、一坪一〇〇円ないし三三〇円であることは前記(二(三)(七)(八)の各③)のとおりである。また被告会社が北拓管財から本件土地を購入した際の仕入れ価格は、一坪三〇〇円ないし一〇〇〇円であることも前記のとおりである(右価格が時価を反映したものとはいい難い点があることは前記のとおりである。しかし本件土地の価格を検討する上での一資料とはなりうるものと考えられる。)。以上の資料に弁論の全趣旨を総合すれば、本件土地は一坪三三〇円(一平方メートルあたり一〇〇円)程度の価値を有しているものと考えられる。

そこで、損害額算定にあたり、右金額を本件土地の価値相当分として各原告らの交付金額より控除することにする。

もつとも、被告会社が責任を負うのは、被告会社と売買をして金員を交付した原告に対してであるところ、原告堀田についての別紙(1)契約番号42、43については原告堀田は大栄物産と契約をし、金員を交付しているのであるから、被告会社の責任は生じない。たしかに、<証拠>によれば、大栄物産は被告会社が商売に行き詰まつたためその打開策として設立されたものであり、代表取締役が被告岩井で、取締役に被告広瀬があり、実質的には被告広瀬が代表者であつたこと、事務所も被告会社と同じビルにあり、社員も被告会社から移つた者が何人かいたこと、扱う物件が被告会社と同じ北海道の土地であつたこと、がそれぞれ認められるが、他面、右<証拠>によれば、大栄物産には約一五人の社員がおりその社員は毎日大栄物産の方に出勤していたこと、大栄物産と被告会社とは同じビルではあるが階が違つていたこと、契約書も大栄物産独自のものを使つていたこと、がそれぞれ認められるのであり、これらを総合した場合、本件事件処理に限つたとしても、大栄物産を被告会社と同一視することは相当でない。

五被告ら個人の責任について

1  被告広瀬の責任

<証拠>によれば、被告広瀬は、昭和四八年五月八日から昭和五〇年六月三〇日(甲第一六号証には退任時期が昭和四九年六月三〇日になつているが、前掲甲第一七号証、被告広瀬本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に照らして誤記と認められる。なお退任登記は昭和五〇年一一月二九日)、昭和五一年五月二〇日から昭和五二年一〇月二六日(退任登記は昭和五二年一〇月三一日)、昭和五五年三月五日以降の間、被告会社の代表取締役であつたこと、昭和五二年一〇月二六日から昭和五三年七月三一日(退任登記は昭和五三年一〇月一七日)、昭和五四年七月二七日から昭和五五年三月五日の間被告会社の取締役であつたこと、代表取締役ではなかつた昭和五二年一〇月二六日から昭和五五年三月四日までの間も実質的には被告会社の代表取締役的立場にあつたことが認められる。

そして前記四のとおり、被告会社は同会社のセールスマンを使つて不法行為を行つてきたのであり、その推進者は販売物件を把握し、販売価格・販売方針の決定権を有していた代表取締役だというべきである。

したがつて、被告広瀬は、前記代表取締役就任期間中に被告会社の不法行為を推進し、被告会社に対して尽くすべき善管注意義務を悪意により懈怠した者として、右期間中に被告会社から不法行為を受けた原告らに対して商法二六六条の三による責任を負う。また、代表取締役ではなかつた昭和五二年一〇月二六日から昭和五五年三月四日までの間も、実質的には被告会社の代表取締役としての地位にあつたのであるから、そのうちの取締役就任期間については同様に商法二六六条の三による責任を、取締役でなかつた期間については原告らに対する不法行為の推進者として民法七〇九条による責任を負う。なお代表取締役及び取締役の退任登記の時期が退任時期よりも遅れているが、商法一四条の類推により、その面については被告広瀬は代表取締役あるいは取締役でないことを悪意でない第三者に対抗できないというべきであるから、その間については代表取締役あるいは取締役として、商法二六六条の三の責任を負う。

なお、別紙(1)契約番号42、43については、前記一10(六)(七)のとおり、大栄物産が行つた契約であるから、被告会社には責任が生じないが、前記四認定のとおり、大栄物産は、被告会社が商売に行き詰まつたため、その打開策として設立されたものであり、被告岩井が代表取締役であるが、実質的な代表者は被告広瀬であつたことが認められ、また右各契約土地も他の本件各土地と同様に利殖の対象とならない無価値のものであるから、結局、被告広瀬は大栄物産のセールスマン有井をして原告堀田に対して前記一10(六)、(七)で認定した内容の欺罔行為をなさしめ、もつて交付金額相当の損害を与えたものとして、民法七〇九条の責任を負う。

以上からすると、被告広瀬は、別紙(1)契約番号7ないし10、12ないし16、20、21、24ないし28、32ないし41、46、47、50ないし53、55ないし57については商法二六六条の三に基づき、同契約番号17ないし19、22、29、48、49については、商法一四条、同法二六六条の三に基づき、同契約番号11、23、30、31、42ないし45、54については、民法七〇九条に基づき、それぞれ原告らに対して各損害額を賠償する責任がある。

2  被告小森の責任

<証拠>によれば、被告小森は、昭和四九年一月に被告会社に入社後、同年四月に営業課長、同年秋に営業部長、昭和五〇年初めに社長室長、その後専務を経て、昭和五二年二月一日から同年一〇月二五日までは取締役、昭和五二年一〇月二六日から昭和五三年一一月一六日(退任登記は昭和五三年一一月二一日)までは代表取締役であつたことが認められる。

そして<証拠>によれば、被告会社では課長以上が参加する営業会議が毎日開かれ、そこで前日の営業成績の報告・当日の営業地区の選定・営業方針について話し合われたこと、週に二回程度は課長以上が参加して課長会議が開かれ、そこで物件の説明が佐坂あるいは被告会社代表者からなされたこと、課長以上の者は被告会社の扱う物件がどういうものであるかを知つていたこと、の各事実が認められる(これを覆すに足りる証拠はない)。

これらの事実、前記二1認定事実及び弁論の全趣旨によれば、被告会社において、課長以上の者は被告会社の扱う物件が利殖の対象となりえないものであることを知り、少なくとも知りえたこと、課長以上の者は前記各会議において上司から営業についての指示を受け、それを部下であるセールスマンに指示していたこと、の各事実が推認できる。

そしてこのことを被告小森に当てはめれば、同人が営業課長になつた昭和四九年四月以降において、同人は被告会社の不法行為を少なくとも知りえたというべきである。したがつて、被告小森は前記取締役あるいは代表取締役就任期間においては、それぞれの立場において、実質的な被告会社代表者であつた被告広瀬の前記不正行為を監視しそれを抑制すべきでありながらそれを行わず、かえつて自ら勧誘を行うなどして被告会社の不法行為を推進したものであるから、右期間中に被告会社から不法行為を受けた原告らに対して商法二六六条の三の責任を負う(なお退任時期と退任登記とのずれがある場合に、退任後登記前の行為についても商法一四条の類推により取締役としての責任を負うべきことは前述したとおりである)。また取締役になる以前の期間については、同人が営業課長になつた以後、前記のとおり同人は被告会社の不法行為を知りえたのであるから、同人が自らあるいは同人の部下をして原告らに対する勧誘を行つた場合には、その期間中の行為については、民法七〇九条七一九条による責任を負う。ただし、前記<証拠>によれば、被告小森が課長になつた時点において営業部は複数の課に分かれており、したがつて課長時代の責任については、勧誘セールスマンが被告小森の課に属していたことの立証がないかぎり被告小森の責任は問えないものというべきである。この点で問題になるのは別紙(1)契約番号1(昭和四九年一一月一八日契約)についてであり、右の日時において被告小森が営業課長であつたか営業部長であつたか(営業部長であればすべてのセールスマンがその部下だといえる)、しかも勧誘セールスマンたる松本、藤川が被告小森の課に属していたことの証拠はないから、右契約については被告小森の責任は問いえない。

以上から、被告小森は、別紙(1)契約番号3、4、11、16、17、21、22、25ないし29、37、38、44、46ないし48、50、51、53、56、57については商法二六六条の三に基づき、同契約番号45については、商法一四条、同法二六六条の三に基づき、同契約番号2、7ないし10、12ないし15、18ないし20、24、49については民法七〇九条に基づき、それぞれ原告らに対して各損害額を賠償する責任がある。

3  被告岩井の責任について

<証拠>によれば、被告岩井は、昭和五〇年一〇月に被告会社に入社し、直ちに総務課長になり、その後総務部長を経て、昭和五一年五月二〇日から取締役に就任したが、その間一貫して人事面を担当し、被告会社社員の募集、採用及び教育に携わつたこと、そして総務課長時代から被告会社の販売する物件の説明を被告広瀬あるいは佐坂から受けてそれを新入社員に指導・教育してきたことが認められる。これに対して、被告岩井本人尋問の結果の中には、被告岩井は一般的なセールスについての教育のみを担当していたのであり、物件の説明など個別具体的な事項についての教育は営業部が行つていたという供述部分があるが、前記認定のとおり、新入社員の教育期間は一週間から一〇日間であり、一般的なセールス指導のみの期間としては長すぎること、営業に配属してから物件の説明を受けるのではセールスマンとしての即戦力にならず、教育担当を設けた意味がないこと、など不合理な点があり、被告岩井がセールスマンに物件の説明をしていたという前掲被告広瀬の本人尋問の結果に照らしても措信できない。

以上のように、被告岩井は総務課長時代から被告会社の扱う物件の内容を十分知つていたのであるから、前記二1の事実からしてそれらが利殖の対象になりえないものであることをも認識していたものと推認できる。また仮にその認識が十分でなかつたとしても、被告岩井は原告らに対する前記勧誘文言を指導・教育していたものであり、そこの内容が虚偽であることは、物件の状況及び被告会社の方針(買取はしない方針)を知つていれば当然わかることである。したがつて、同人は、社員に対する教育の中で、欺罔行為となることを知りながら、前記勧誘文言を指導していたものと推認できる。

したがつて、被告岩井は、取締役就任期間において、被告会社の不法行為を抑制することが被告会社に対して取締役として負つている善管注意義務を果たすことになるにもかかわらず、それを行わず、かえつて、新入社員に対して欺罔行為となる前記勧誘文言を指導・教育し、被告会社の不法行為を推進したのであるから、右期間中に被告会社から不法行為を受けた原告らに対して商法二六六条の三の責任を負う。ただし、契約番号6に関する四五万二〇〇〇円の横領金員については、被告岩井の責任原因の主張、立証がなく、責任を認めることはできない。

また、取締役就任以前についても、前記のように被告岩井は総務課長時代から社員に対し、欺罔行為を故意に指導していたのであるから、その指導を受けたセールスマンが行つた不法行為については民法七〇九条同法七一九条一項による責任を負うべきである。しかしながら、この責任について、本件で問題となる別紙(1)契約番号49についてのセールスマン藤川、伊東が被告岩井の教育を受けたと認めるに足りる証拠はなく、結局、取締役就任以前の契約については責任を負わない。

なお、契約番号42、43については、大栄物産が売主であり、被告岩井は、右契約当時、大栄物産の代表取締役であつたこと前記のとおりである。しかし、前記認定のとおり同人が単なる形式的な代表取締役であつたことに鑑みれば同人が大栄物産セールスマン有井をして欺罔行為をなさしめたとまで認めることはできず、右各契約について責任を認めることはできない。

以上から、被告岩井は、別紙(1)契約番号3ないし17、20ないし23、25ないし41、44ないし48、50ないし57について、商法二六六条の三に基づき、原告らに対して各損害額(契約番号6については四五万二〇〇〇円を除いた額)を賠償する責任がある。

4  被告野田の責任

<証拠>によれば、被告野田は、昭和四九年一二月八日に被告会社に入社すると同時に営業課長となり、昭和五〇年一月に営業部長、同年四月に本部長、同年六月三〇日から同五一年五月一九日までは取締役、昭和五一年五月二〇日から同五一年一二月三一日(退任登記は昭和五二年三月三日)までは代表取締役であつたこと、代表取締役就任期間中は、それまでの代表取締役である被告広瀬のやり方を踏襲して職務を遂行したことが認められる。

そして前記五2において認定したのと同様の理由で、被告野田についても、営業課長時代から被告会社の不法行為を知りえたというべきである。

したがつて、被告野田は、代表取締役就任期間中、被告会社の不法行為を知りえながらあえてそれを推進したのであり、また取締役就任期間中も自ら勧誘行為をする(別紙(1)契約番号13、15)など代表取締役である被告広瀬に加担して被告会社の不法行為を推進したのであるから商法二六六条の三の責任を負い、退任後退任登記までの間も商法一四条の類推により同様の責任を負う。そしてそれ以前の課長・部長・本部長時代については、同時期に被告会社から不法行為を受けた原告らに対して民法七〇九条の責任を負う。

もつとも、民法七〇九条の責任については、同人の部下をして勧誘行為をさせたという具体的な指図の関係があることを要するところ、この期間で被告野田の責任が問題となるのは、いずれも被告野田が営業部長になつた以降の時点における契約であり、その時点ではすべてのセールスマンが同人の部下といえるから、七〇九条の責任を認めるに必要な前記指図関係を認めることができる。

以上から、被告野田は、別紙(1)契約番号7、8、10、12ないし15、18ないし20、49については商法二六六条の三に基づき、同契約番号9、46、47については、商法一四条、同法二六六条の三に基づき、同契約番号24については、民法七〇九条に基づき、それぞれ原告らに対して各損害額を賠償する責任がある。

5  被告小山の責任

<証拠>によると、被告小山は、昭和五三年一一月一六日から同五五年三月三日までの間、被告会社の代表取締役の地位にあつたこと、しかし、これは形式だけの代表取締役として就任したものであり、就任期間中、営業の報告を一、二度受けたことがあるだけで業務は全くせずに、実際の仕事は被告広瀬に任せきりであつたこと、の各事実が認められる。

そして前記四認定のとおり、被告会社は不法行為を行つてきたのであり、被告小山が代表取締役の地位にあつた前記期間においても、被告広瀬が実質的な代表取締役として被告会社の不法行為を推進していたものである。しかるに被告小山は被告会社の代表取締役の地位にありながら、その職務を全く行うことなく、被告広瀬に業務を任せきりにしており、その結果、被告広瀬の不正行為を看過したのであるから、悪意により任務を怠つたものとして、商法二六六条の三により、右期間中に被告会社から不法行為を受けた原告らに対して、その損害額を賠償する責任を負う。ただし、別紙(1)契約番号42、43については、大栄物産が売主であるから、被告小山が被告会社の代表取締役として商法二六六条の三による責任を負うことはないし、また同人が大栄物産の不法行為を推進していたという証拠はないから、民法七〇九条あるいは七一九条一項の責任も負わない。また契約番号6に関する横領金員四五万二〇〇〇円についても、同人の責任原因についての主張・立証がないから責任を負わない。

以上から、被告小山は、別紙(1)契約番号5、6、23、30ないし36、39ないし41、45、52、54、55について商法二六六条の三に基づき、原告らに対して、各損害額(6については四五万二〇〇〇円を除いた額)を賠償する責任がある。

6  被告高田の責任

(一) 被告高田が、芸能生活の長い、著名な俳優・歌手であることは、当裁判所に顕著な事実である。そして、<証拠>によれば、被告高田は、①昭和五〇年の暮か、昭和五一年の初め頃、東映株式会社の大阪支社長であつた永井から被告高田のマネージメントをしている株式会社高田企画(以下「高田企画」という)を通じて、被告会社の宣伝用映画出演の依頼を受け、昭和五一年春、被告会社の現地案内に同行し、北海道の現地で他の同行者らと共に販売予定の土地を見学している場面などの撮影をしたこと、その撮影の現場は、千歳空港から車で約一時間程度のところの土地であり、広い平地で、杭及び縄による区画があつたこと、②その後半年ほどたつた頃(昭和五一年の暮れか同五二年の始め)にパンフレットの話が被告会社からあり、被告会社から送つてきた文案を高田企画の梶浦が訂正して、別紙(3)中の被告高田名義の推薦文の文面を作り、後日被告高田の了承を得、遅くとも昭和五二年二月初め頃に被告会社から原告らに交付されはじめたこと、③昭和五二年七月二三日から二五日にかけて、被告会社の現地(豊岡)案内に同行し、その際、被告会社主催のディナーショーに出演したこと、④報酬は、映画出演が一〇〇万円、パンフレットが一〇万円、ディナーショーが五〇万円であつたこと、⑤被告高田は高田企画の扱つた仕事を信頼してやつており、自分で仕事の中身を検討しておらず、被告会社の仕事についても、事前に被告会社を一度表敬訪問したにすぎないこと、⑥高田企画も被告会社の営業内容に関心を持つておらず、被告会社の信用調査をしていなかつたこと、⑦昭和五一年六月二九日付けで被告会社と被告高田との間で、北海道蛭田郡倶知安町字高嶺二三番地一、二、三号地の原野九九三平方メートルを三六〇万円で売買する契約書が作成され、被告高田に売渡証書と共に交付されたこと、の各事実が認められる。これに対して、<証拠>中には、パンフレットの話ができたのは昭和五二年の春であつたという供述部分があるが、前記一(1)(三)認定事実によれば、昭和五二年二月初め頃に右パンフレットが原告精子宛に郵送されてきたのであるから、右時点までにパンフレットができていたというべきであり、右供述部分は措信しない。

また、<証拠>の中には、昭和五一年一二月六日の時点で、右パンフレットの交付を受けたという供述部分があるが、措信できない。すなわち、<証拠>によれば、右パンフレットにおいて、被告高田は、「昨年の芸道五十周年記念行事」と述べていることが認められ、<証拠>によれば、芸道五〇周年パーティは、昭和五一年一一月になされたことが認められるのであり、両者をあわせれば、右パンフレットは、昭和五二年において交付されることが予定されていたというべきであり、昭和五一年一二月六日の時点で交付されたというのは不自然だからである。

(二)  以上の事実を前提に、被告高田の責任を検討する。

被告高田が右に記した①ないし③の行為をすることにより、被告会社及びその取り扱う商品に対する信頼を高める結果になつたことは、前記一(1)(三)、(3)(一)、5(三)、(14)(一)記載の各事実、被告高田の前記知名度及び弁論の全趣旨から推認できる。ただ、前記①及び③(映画への出演及び現地案内とディナーショーへの出演)については、映画及び現地案内・ディナーショーにおける被告高田の言動が本件全証拠によつてもはつきりせず、同被告が、これらの仕事をすることによつて原告ら主張のように被告会社を推奨したとまで認定できるかについては十分な心証を得ることができない。したがつて、これらの行為についての同被告の責任の有無についてはこれ以上の検討はしないことにする。

しかしながら、前記②のパンフレットについては、被告高田がその中で、被告会社役員と個人的なつながりがある旨記載し、北海道の土地に対して積極的な評価を加えた上で、同被告個人の立場で被告会社を推薦しているのであり、これは、被告会社の単なる情報伝達手段にとどまらず、被告高田個人が自己のメッセージとして被告会社を紹介・推薦するものであることが明らかである。そして、被告会社の不法行為が詐欺を内容とするものであることに鑑みれば、被告会社及びその扱う商品を紹介・推薦し、これに対する信頼を高めることは、とりもなおさず被告会社の不法行為を容易ならしめることに外ならないから、被告高田の右行為が客観的に被告会社の不法行為に対するほう助になることは明らかである。

そこで、次に故意・過失の存否を検討する。

芸能人が、広告に出演する場合に、いかなる注意義務を負うか、換言すれば、その広告主の事業内容・商品についていかなる調査義務を負うかは、個別具体的に、当該芸能人の知名度、芸能人としての経歴、広告主の事業の種類、広告内容・程度などを総合して決められるべき問題である。

そこで被告高田に関する前記②の広告についての注意義務につき考察するに、被告高田は前記のとおり芸能人として長い(前掲甲第二号証によれば五〇年以上の)経歴を持ち、現在においてもなお人気のある俳優あるいは歌手として活躍中の者である。そして本件では、広告主たる被告会社の事業内容・信用性はもとより、その扱う商品(北海道の山林、原野)の価値についても原告ら一般人はその判断資料を殆ど持ち合わせていないのであるから、被告高田らいわゆる有名人による第三者的な立場からの推薦が大きな判断資料となる可能性が高いといわなければならない。しかもその販売価格も一単位(ほぼ一〇〇坪)数十万円と決して安くなく、しかも被告高田は右価格を知つていたと推認できる(前記⑦)。

これらのことからすれば、被告高田は、自己の持つ影響力を認識するのはもちろんのこと、広告主の事業に不正があつた場合に生じる損害が多額に上る可能性をも認識し、自分が、一人のタレントとして被告会社の単なる情報伝達手段としての役割を演じるにとどまらず、高田浩吉個人の立場から、被告会社あるいはその取り扱う商品の推薦を行う場合には、その推薦内容を裏付けるに足りる調査を行うべき義務があるものというべきである。

しかるに被告高田は、前記⑤⑥記載のとおり、自らあるいは高田企画に指示して被告会社の事業内容を調査することをまつたくしなかつたのであるから、同人には、前記注意義務に違反した過失があると言わざるをえない。

これに対して、被告高田は、同人が被告会社の事業の詳細を知りえる立場になかつた旨主張するが、調査しようと思えば、被告会社から話を聞くことに始まり、評価証明をとつたり、場合によつては興信所に依頼するなど種々の方法が考えられるのであり、しかも、仮に調査が困難あるいは経費がかかりすぎるというのであれば、広告の文言・内容を変更するという方法も採れるし、仕事の受任自体を拒否することも可能なわけであるから、右の主張は失当である。

もつとも、被告高田は、右パンフレットの仕事をする前に、現地を一度見ており、その土地は前記①のとおり平地で、区画が為されていたことが認められるが、現地に行つたのは前記映画の撮影のためにすぎず、これだけでは、前記内容の推薦をする上で必要な調査をしたものとは認められない。

よつて、被告高田には、別紙(3)のパンフレットに推薦文を載せるにあたり必要な注意義務を怠つた過失があると認められる。

以上から、被告高田は、前記パンフレットが交付され、それにより同被告の推薦を受けて、被告会社から土地を買つて損害を受けた原告ら、すなわち、原告盛雄、同精子、同大路に対して責任を負う。

なお、被告高田は、同人が被告会社から北海道の土地を買つていることは事実であるから、「自分も買つている」という文言には虚偽はないことを責任を否定する一つの根拠として主張し、それにそう前記⑦の事実もあるが、不法行為に対するほう助の成立にとつて、推薦文言が虚偽であることは必要でなく、しかも本件で右部分のみがほう助にあたるのではないから、右主張は失当である。

また、同人は、同人の広告媒体が、原告らの土地購入意思の決定について、決定的な役割をはたしたものでないことを、責任を否定する根拠として主張するが、決定的な役割を果たすことは、ほう助の成立にとつて、必要ではないから、この主張もまた失当である。

そして、被告会社の和議申立以後の取引について責任がないという主張にも理由がない。

もつとも被告高田は、他の被告らとは異なり、被告会社の不法行為を過失によつてほう助する結果となつたものであり、同被告の調査義務違反として批難されるべき点のうちのいくつかは、原告らが本件各契約をなすについても、原告ら自身に対してもそのまま妥当する面がある。これらの点を総合的に考慮すれば、被告高田に、他の被告らと連帯して原告らの被つた損害の全額を賠償させるのは公平を失する面があると考えられる。そこで、当裁判所は、被告高田に限つては原告らの右落度を考慮し、その被つた損害のうちの六割の範囲で他の被告らと連帯して責任を負担させることとする。

以上から、被告高田は、被告会社の不法行為を過失によりほう助したものとして、別紙(1)契約番号3ないし6、50ないし52について、民法七一九条二項に基づき、原告らに対して、各損害額の六割を賠償する責任がある。もつとも、同契約番号6に関する被告会社セールスマンの横領行為による四五万二〇〇〇円については、被告高田がそれをほう助したことにはならないから、右損害については、責任を負わない。

六抗弁について

本件全証拠によつても抗弁1の事実を認めるに足りない。かえつて、前記一の各事実によれば、抗弁1の対象になつている契約の当事者である原告らは、いずれも複数回の契約を行つており、したがつて、少なくともその最終の契約時点までは、損害を知らなかつたものと推認するのが相当であり、各契約に接着した時点で本件土地の評価額を知り、損害を知つたという主張は失当である。

そして、本件記録により、提訴時点は、原告盛雄及び同精子については昭和五五年二月二〇日、それ以外の右原告らについては同年四月二一日であることが明らかであり、したがつて、原告今井(契約番号7ないし9)以外の原告については、最終契約時点から提訴時点まで三年を経過していないから、消滅時効の主張には理由がない。原告今井については、最終契約時が昭和五二年一月三一日であり、提訴時点(昭和五五年四月二一日)までに三年を経過しているが、同人については右提訴時点の三年前までに被告らの不法行為を認識したとの立証はなく、むしろ前記一2(四)で認定したとおり、被告会社にだまされたことに気付き、損害を知つたのは、昭和五二年一〇月頃であるから、提訴時点までに三年を経過しておらず、同人についても時効の主張には理由がない。

よつて、抗弁には理由がない。

七以上の次第で、主文添付の別紙認容金額一覧表のとおり、各原告らに対し、関係被告らは、各自同表認容金額欄記載の金員及びこれに対する同表遅延損害金起算日欄記載の日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うというべきであり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、原告らの右認容額を超える請求並びに原告大東、同嘉豊、同ふく子の被告高田に対する各請求及び原告林の被告岩井に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井筒宏成 裁判官高橋文仲 裁判官廣谷章雄)

別紙物件目録

1 北海道樺戸郡月形町字知来乙九九三―三〇 三三二平方メートル

2 北海道上川郡比布町二四一三番四六四 三三一平方メートル

3 北海道蛇田郡留寿村字登一八八番一一 三三〇平方メートル

4 北海道樺戸郡新十津川町吉野一八六番六一六 六〇七平方メートル

5 北海道蛇田郡喜茂別町字尻別三三六―五四 二八五平方メートル

6 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番地三二四 九八二平方メートル

7 北海道蛇田郡倶知安町山梨二九五番五三 九九一平方メートル

8 同  所  二九五番五八 九九一平方メートル

9 同  所  二九五番五九 九九一平方メートル

10 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三八番四六 三三一平方メートル

11 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番六二九 三三〇平方メートル

12 北海道蛇田郡倶知安町字高嶺二三番一三四 三八〇平方メートル

13 同  所  二三番一三五 三七七平方メートル

14 北海道蛇田郡喜茂別町字比羅岡五三番八五 三三〇平方メートル

15 同  所  五三番八六 三三〇平方メートル

16 北海道蛇田郡倶知安町字山梨三六五番四一 三三〇平方メートル

17 同  所  三六一番六六 三三一平方メートル

18 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三八番五二 三三〇平方メートル

19 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番六四二 三三〇平方メートル

20 北海道樺戸郡月形町字知来乙七〇八番七 三三一平方メートル

21 北海道上川郡比布町三三四六番八七 九九三平方メートル

22 北海道蛇田郡倶知安町字高嶺二三番一一二 三三〇平方メートル

23 同  所  二三番一一三 三三〇平方メートル

24 北海道蛇田郡真狩村字美原一番七一 三三〇平方メートル

25 同  所  一番七二 三七〇平方メートル

26 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番五六 三三〇平方メートル

27 北海道樺戸郡新十津川町字吉野一八六番一八三 三三〇平方メートル

28 北海道樺戸郡月形町字知来乙七〇七番六〇 三三一平方メートル

29 北海道樺戸郡新留十津川町字吉野一八一番一八五 六六二平方メートル

30 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五二一番一四八 三四七平方メートル

31 北海道蛇田郡倶知安町字山梨三〇〇番一三九 三三〇平方メートル

32 同  所  三〇〇番一四〇 三三〇平方メートル

33 同  所  三六一番六二 三三一平方メートル

34 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番五九〇 三三〇平方メートル

35 同  所  五三八番五九一 三三〇平方メートル

36 北海道蛇田郡真狩村字美原三四番二〇二 三三〇平方メートル

37 北海道蛇田郡喜茂別町字比羅岡五一番一四四 三三〇平方メートル

38 北海道樺戸郡新十津川町字吉野一八六番七一一 三三〇平方メートル

39 同  所  一八六番七一二 三三〇平方メートル

40 同  所  一八六番七一三 三三〇平方メートル

41 北海道蛇田郡留寿都村字留寿都二九四番三六 三三〇平方メートル

42 同  所  二九四番三七 三三〇平方メートル

43 同  所  二九四番三八 三三〇平方メートル

44 同  所  二九四番三九 三三〇平方メートル

45 北海道蛇田郡ニセコ町字黒川一九一番五八 三三一平方メートル

46 同  所  一九一番六六 三三一平方メートル

47 同  所  一九一番七〇 三三一平方メートル

48 同  所  一九一番七五 三三一平方メートル

49 同  所  一九一番七九 三三一平方メートル

50 同  所  一九一番八三 三三一平方メートル

51 同  所  一九一番八七 三三一平方メートル

52 北海道蛇田郡留寿都村字登一八八番一八 三六〇平方メートル

53 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三三番一八二 三三〇平方メートル

54 同  所  五三三番一八三 三三〇平方メートル

55 同  所  五三三番一八四 三七一平方メートル

56 北海道蛇田郡留寿都村字登一九一番二五 三三〇平方メートル

57 北海道蛇田郡倶知安町字山梨仮3号地 三三〇平方メートル

58 同  所  三〇〇番一三〇 三三〇平方メートル

59 北海道樺戸郡新十津川町字幌加二三四番一六八 一六五三平方メートル

60 北海道蛇田郡喜茂別字花丘二八八番三四 三三〇平方メートル

61 北海道蛇田郡倶知安町字高嶺二三番一二六 四二〇平方メートル

62 北海道蛇田郡真狩村美原一三番六四 三三〇平方メートル

63 同  所  一三番二七 三二四平方メートル

64 同  所  一三番一一〇 四六四平方メートル

65 北海道蛇田郡倶知安町字山梨三六五番八六 八二五平方メートル

66 同  所  三六五番六七 三三〇平方メートル

67 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三三番五 四〇五平方メートル

68 同  所  五三三番五五、五六 六六〇平方メートル

69 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番四四〇 三三〇平方メートル

70 北海道樺戸郡月形町字知来乙九九三番三八 四九五平方メートル

71 北海道蛇田郡留寿都村字留寿都二九四番二六ないし三三、七一ないし七五 三六三〇・一一平方メートル

72 北海道厚田郡厚田村大字望来村字望来川奥五三八番九五 六八八平方メートル

73 北海道蛇田郡喜茂別町字花丘四三〇―四五ないし47号地 九九〇平方メートル

74 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三三番一三 三二九平方メートル

75 同  所  五二一番一〇一 三三〇平方メートル

76 北海道樺戸郡新十津川町字幌加二三四番一七四 三三〇平方メートル

77 北海道蛇田郡留寿都村字豊岡五三八番二 五一三平方メートル

78 北海道厚田郡厚田村大字望来村川奥五三八番九六 四〇六平方メートル

79 同  所  五三八番九七 四八九平方メートル

80 同  所  五三八番一二二 九九二平方メートル

別紙(1)、(2)、本件広告<省略>

別紙

認容金額一覧表

原告氏名

被告

認容金額

遅延損害金起算日

倉橋盛雄

大隆株武会社(以下「大隆」という。)

二一七万一二六〇円

昭和五五年二月二八日

小森力夫(以下「小森」という。」

一〇八万八〇〇〇円

昭和五五年三月二日

岩井壽雄(以下「岩井」という。)

一一一万七〇〇〇円

昭和五五年二月二八日

小山正(以下「小山」という。)

二〇万二〇〇〇円

昭和五五年二月二九日

高田浩吉こと梶浦武一(以下「高田」という。)

六六万五〇〇〇円

昭和五五年二月二九日

倉橋精子

大隆

一四五万九〇四〇円

昭和五五年二月二八日

小森

五一万七〇〇〇円

昭和五五年三月二日

岩井

一四五万九〇四〇円

昭和五五年二月二八日

小山

九四万二〇四〇円

昭和五五年二月二九日

高田

八七万五四二四円

昭和五五年二月二九日

今井玲子

大隆

三七〇万二七〇〇円

昭和五五年五月九日

渡瀬允宣(以下「廣瀬」という。)

三七〇万二七〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

三七〇万二七〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

三七〇万二七〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野田こと寺島慎典(以下「野田」という。)

三七〇万二七〇〇円

昭和五五年六月六日

大東昭次

大隆

一三三万三九〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

一三三万三九〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

一三三万三九〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

一三三万三九〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野田

五〇万円

昭和五五年六月六日

佐々木正勝

大隆

四七三万七九二〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

四七三万七九二〇円

昭和五五年六月六日

小森

四七三万七九二〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

四七三万七九二〇円

昭和五五年五月一〇日

野田

三八一万八九二〇円

昭和五五年六月六日

西村嘉豊

大隆

三七二万一六〇〇円

昭和五五年五月九日

西村嘉豊

廣瀬

三七二万一六〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

三七二万一六〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

一七三万四〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野田

三七二万一六〇〇円

昭和五五年六月六日

西村ふく子

大隆

一八六万四〇〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

一八六万四〇〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

一二九万七〇〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

一八六万四〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

五六万七〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野島靖巨

大隆

一八〇万〇七〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

一八〇万〇七〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

一八〇万〇七〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

九三万三八〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野田

八六万六九〇〇円

昭和五五年六月六日

原田久司

大隆

四八八万四二〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

四八八万四二〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

三二五万〇二〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

四八八万四二〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

一六三万四〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

福矢君子

大隆

二〇五万一〇〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

二〇五万一〇〇〇円

昭和五五年六月六日

岩井

二〇五万一〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

二〇五万一〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

福矢幸司

大隆

一〇八八万六三〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

一〇八八万六三〇〇円

昭和五五年六月六日

岩井

一〇八八万六三〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

一〇八八万六三〇〇円

昭和五五年五月一〇日

藤田里司

大隆

一四六万四〇〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

一四六万四〇〇〇円

昭和五五年六月六日

岩井

一四六万四〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

一四六万四〇〇〇円

昭和五五年五月一〇日

堀田禎三

大隆

六〇三万二六〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

六四〇万円

昭和五五年六月六日

堀田禎三

小森

三一六万三九〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

六〇三万二六〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

二六〇万円

昭和五五年五月一〇日

山本禎雄

大隆

五五七万二七〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

五五七万二七〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

五五七万二七〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

五五七万二七〇〇円

昭和五五年五月一〇日

小山

二八〇万円

昭和五五年五月一〇日

吉住信彦

大隆

三三六万〇五〇〇円

昭和五五年五月九日

廣瀬

三三六万〇五〇〇円

昭和五五年六月六日

小森

三三六万〇五〇〇円

昭和五五年五月一三日

岩井

三三六万〇五〇〇円

昭和五五年五月一〇日

野田

二八九万三五〇〇円

昭和五五年六月六日

林敏子

大隆

一一五万〇五〇〇円

昭和五六年六月九日

廣瀬

一一五万〇五〇〇円

昭和五六年六月二三日

小森

一一五万〇五〇〇円

昭和五六年六月二三日

野田

一一五万〇五〇〇円

昭和五六年六月二三日

大路康路

大隆

一四〇六万九一八九円

昭和五七年八月二一日

廣瀬

一四〇六万九一八九円

昭和五七年八月二一日

小森

一二一六万八一八九円

昭和五七年八月七日

岩井

一四〇六万九一八九円

昭和五七年七月二六日

小山

一九〇万一〇〇〇円

昭和五七年八月八日

高田

八四四万一五一三円

昭和五七年八月四日

松下太郎

大隆

二五八万一一〇〇円

昭和五八年五月五日

廣瀬

二五八万一一〇〇円

昭和五八年五月五日

小森

一一六万七一〇〇円

昭和五八年五月一日

岩井

二五八万一一〇〇円

昭和六一年三月二五日

小山

一四一万四〇〇〇円

昭和五八年五月一日

田村寅一

大隆

四二六万円

昭和六〇年五月二五日

廣瀬

四二六万円

昭和六〇年五月一七日

小森

四二六万円

昭和六〇年二月七日

岩井

四二六万円

昭和六〇年二月七日

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